2018/05/25発行 ジャピオン968号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。マンハッタン精神科センターはランドール島で一番高い建物だが、普段、一般市民の視野にほとんど入らない。

ランドールズ島便り❹

 1899年に、当時、世界最大(収容患者数4400人)の精神科専門病院として開院した「マンハッタン州立病院」は退院患者より入院患者の数がはるかに多く、常にスタッフと施設の不足に悩まされていた。

掃きだめの島

 当時のランドールズ島には、少年鑑別所、難民収容所など福祉施設が集まっており、言い方は悪いが、この病院も病人と社会問題の「掃きだめ」と化していた。1923年、大火災で患者22人職員3人が犠牲となる。それを契機に救済債券が発行されたが劣悪な環境は一向に変わらず、26年には入院患者数が7000人を超過。戦後、50年代後半にトランキライザー(現在の抗不安薬や向精神薬)が開発され、ようやく入院患者の数が減った。

 幾度かの病棟統合と分割を経て、1979年に現在の施設「マンハッタン精神科センター」となる。運営はニューヨーク州。入院患者数は約230人。隣接するカービー司法精神センターでは、心神喪失の状態で他害行為を行った(つまり精神疾患ゆえに刑事責任能力がない)250人の治療が行われている。

 実は、精神科センターでは、5年前から唯一の日本人医師、大山栄作さんが治療に当たっている。慈恵医大精神科勤務を経て米国に渡った大山医師に、日米の治療現場の違いも踏まえて同センターの「いま」を伺いたくて取材依頼したところ、意外にも院内でのインタビューに許可が下りた。

精神科センターへ

 センターを訪れたのは島が五月雨に煙るある日。ハーレム125ストリートからM35番の市バスで島に渡り、病院前の停留所で降車。島のちょうど中央あたり、RFK橋につながる高速道の向こうに巨城のような威容が待ち受けていた。センターの住所は「東125ストリート600番地」。その名の通り、ここだけはマンハッタンなのだ。

 厳重な二重ドアで守られた玄関前で大山先生に出迎えられ、身元チェックの末に、院内に。長い廊下の左右には治療の一環として患者さんたちが描いた絵が並ぶ。どれも震えるようなもどかしい筆使いだが、一度見たら忘れられない説得力がある。「現在、この病院に入院されている患者さんのほとんどが統合失調症と闘っています。他の病院では治療しきれなかった最重度の患者さんがここに送られてくるのです」

 その多くが貧困層で、家族や社会からも見放されているという。「一方で、時々、芸術や科学の天才も入院して来ます。今も、世界的チェスプレーヤーが治療中です。1917年には、有名なジャズピアニストのスコット・ジョップリンが当病院で亡くなっています」。

 世界最古の精神科病院は物語に事欠かない。次回に続く。 (中村英雄)

初期のマンハッタン精神科センター。慢性的な病床不足に悩まされていた。
現在のマンハッタン精神科センター。建物の起工式は1955年。アイゼンハワー大統領(当時)が立ち会った
病棟をつなぐ長い廊下の壁には、セラピーの一環で患者さんたちが描いた絵画が飾られている

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