2018/05/18発行 ジャピオン967号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。長らく見向きもされなかったランドールズ島に、18世紀半ば、新たな役目が与えられる。

ランドールズ島便り❸

 1807年、日本では文化4年。隅田川の永代橋が祭り見物の群集の重みで崩落したこの年に、ニューヨークでは湾岸開発の不動産王ジャスパーとバースロミューのワード兄弟が、マンハッタンの114ストリートとランドールズ島をつなぐ木造の跳ね橋を架けた。
 兄弟が島に綿花の加工工場を建設したためである。実は、この小橋がイーストリバーに史上初めて架かった橋でもあるのだが、残念ながら21年の大嵐で流されて今は跡形もない。それに先んじて12年(米英戦争開戦の年)には、綿花工場も閉鎖されている。19世紀前半、この島は消しゴムで消されたかのような存在になっていた。

無縁仏の行先

 ところが同時期、対岸のマンハッタンでは、急速な都市化が進行している。1800年に6万人強を数えた市内人口は、20年には12万人を超え、40年には31万人に達した。人口が増えれば、土地が不足し、さまざまな問題も生じる。中でも病気や死に関する問題は深刻だった。つまり病院や墓地のスペースがないのだ。
 墓地に関しては、38年にブルックリンのグリーンウッド墓地が開園してから、富裕層は死ぬと、こぞってブルックリンを目指すのがトレンドとなったが、その他大勢の貧民の墓場が満杯状態。マディソンスクエアパークやブライアントパークなど今ではオシャレの代名詞のようなエリアに無縁墓地や共同墓地があって、夏ともなると腐臭を放っていたというから、近代化まっしぐらのニューヨーク市としては恥ずべき、そして急務の課題だった。
 とはいえ、某国の「瓦礫問題」の例を引くまでもなく、無縁仏を一気に引き受けてくれる場所などおいそれと見つかるものではない。そこで、ほぼ無人島と化していたランドールズ島に「まとめて送ってしまいましょう」という話になり、何十万もの死体が移送され、以降、同島は無縁仏の島として活用された。今となってはその墓地の痕跡すら残っていない(恐らくはいずれかの運動場の地下であろうが)のだから、人間とはかくも非情な動物である。

心病む人たちの行先

 病院に関しては最初、1847年に州の予算で病気や極貧の移民の一時収容施設が開設されたが、やがてこれが世界一(当時)の巨大病院に発展。51年には市の運営に代わり、63年には、これを母体にニューヨーク市精神科病院が発足。99年に再び、州の管轄下となり、州立マンハッタン病院に。最盛期には4400人もの患者を収容する世界最大の精神科病院となる。今なお、マンハッタン精神科センターの名前で活動を続ける同病院はランドールズ島を代表する施設である。次回は、その院内に足を踏み入れる。(中村英雄)

1807年にイーストリバー初の跳ね橋が架けられた辺り。橋は1821年の大嵐で崩落した
1869年当時のアルコール依存症更生施設。19世紀後半には、同島に精神科病院などが集中(PD-US)
マンハッタン精神科センター。重度の精神障害者が入院する施設で、現在は州の管轄下にある

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