2018/05/11発行 ジャピオン966号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。イーストリバーに浮かぶランドールズ島へは歩行者と自転車専用の橋、「ワーズ島橋」が架かっている。

ランドールズ島便り❷

 ハーレムと島を結ぶ「ワーズ島橋」は、どう見ても、イーストリバーに架かる橋の中では最小規模だろう。デザインしたのは、橋梁建築の巨匠でマンハッタン周辺の大きな橋の設計を一手に手掛けたオスマー・アンマンだ。

未開の地と呼ばれた島

 橋上からの眺めは北面も南面も絶景。狂ったように天を目指すマンハッタンの高層ビル群のパノラマを冷めた目で見るには絶好のポジションだ。対照的に、橋から俯瞰するランドールズ島は真っ平らで、橋の北に臨める精神科病院以外、10階建て以上の建物はない。

 ジョガー、サイクリスト、散歩の人、恋人たちなど橋上に人の往来は多く、緑の少ないイーストハーレムの住人にとって同島が憩いの場となっているのがよく分かる。ほんの10分足らずのウオークで島に到達した。

 1637年にオランダ人入植者から収奪される以前は、先住民すらテンケナス(「未開地」の意)と呼んでいた島である。草木がうっそうと茂っており、人が好んで住むような土地ではなかったようだ。初期入植時代は、ブキャナンズ島、グレート・バーン島などと何回か名称変更している。

 1776年からの独立戦争でジョージ・ワシントン率いる大陸軍がニューヨークから撤退すると、この島は英国軍の支配下に入り、戦略的要衝となった。起伏のない地形と、マンハッタンを100メートル足らずの対岸に臨む立地は、防衛拠点としては有効だったようだ。

独立戦争後に開発

 1783年に戦争が終結して独立国家アメリカが始動すると、ニューヨークの経済、とりわけ貿易や運輸業がにわかに活気づく。現在のローワーマンハッタンに当たる港湾エリアにはおびただしい量の貨物船が出入港。それに従って、新規の埋め立て、埠頭(ふとう)建設、湾岸の不動産開発などが急速に進む。その中心にいたのがジャスパーとバースロミューのワード兄弟だ。彼らが、1807年に自ら埋め立てたペック・スリップ(スリップとは船の進水台と直結するストリート)の45番地に建てた住宅は今もサウスストリート・シーポートの一角に残っている。

 今で言うウオーターフロント開発で財を成した2人は、現ランドールズ島の南の部分を取得。やはり1807年にマンハッタンの114ストリートから現ランドールズ島に、木造の小さな橋を架け、島内に綿花の精製工場を建てた。以来、この島はワード家の島(WardsIsland)と呼ばれるようになった。(中村英雄)

ワーズ島橋は、幅3・7メートル、全長380メートル、2本の橋脚の間は95メートル
平坦な島の地形は、運動場の設営に好適。島には野球場、サッカー場、アメフト場、テニスコートなどがある
かつて先住民が「未開地」と呼んだ原生林の面影は、旧ワーズ島の北端辺りにわずかに残る

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