2018/04/20発行 ジャピオン963号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今週は、20世紀初頭、今のグランドセントラル駅建設に向けての、一人のエンジニアによる壮大な構想を振り返る。

グランドセントラル駅❼

グランドセントラル駅❼

1913年にオープンした今のグランドセントラル駅には画廊や映画館まであった。壁と床を大理石が覆い、女性用トイレの待合室はまるでラウンジ。正装した長距離列車の乗降客のため、プラットホームにレッドカーペットが敷かれた時代だ。

重鎮客のための「秘密の通路」も有名な話。61番プラットホームは、その秘密の通路からウォルドルフ・アストリア・ホテルに通じており、フランクリン・ルーズベルト大統領が頻繁に利用したと伝えられる。

CBS最初のスタジオ

オープン当時、駅の年間利用客は約2100万人。ウィリアム・ウィルガスによって、その5倍を見込んで建設された駅は「大き過ぎる」と批判されたが、100年たった今、利用客は年間1億人以上。ウィルガスの読みは正しかった。

1939年、グランドセントラル駅の上層階にはテレビ局CBSの最初の本社が入った。CBSの看板ニュース番組「60ミニッツ」を68年に立ち上げたドン・ヒューイットが、「子供のころ、この駅を行き来する時、頭上にあるCBSのスタジオを思いながら胸を躍らせた」と語っている(歴史書「Grand Central Station: The History of New York City’s Famous Railroad Terminal」(チャールズ・リバー・エディターズ編・刊)。

子供に夢を与え、贅(ぜい)を極めたグランドセントラル駅だったが、建物管理は極めてぞんざいなもので、第二次世界大戦が終わった頃には老朽化が著しかった。しかもその頃になると、車の台頭で、電車での長距離旅行客が激減。近郊からの通勤客が主流になり、それでは十分な収益が得られなくなっていた。

結果、グランドセントラル駅は何度か存続の危機に直面する。1954年、デベロッパーのウィリアム・ゼッケンドルフが、駅を壊して80階建てビルを建設する案を提案。すぐにポシャったが、これは駅利用客の心に暗雲をもたらした。

駅保存にジャッキー登場

1963年、パンナムビル(今のメットライフビル)が駅のすぐ北側に完成したが、駅の収益は思うほど上がらず、5年後には新たなビル新築計画が浮上する。その前年、ニューヨーク市がグランドセントラル駅を歴史的建造に物指定していたため、法的には寸分の変化も加えられないはずだが、当時の駅所有者ペン・セントラル・トランスポーテーションが市に法改正を訴えていた。駅所有者にしてみれば、いくら歴史的建造物でも利益を上げない駅舎は邪魔なだけということだ。

そして、ここで登場するのが元ファーストレディー、ジャッキー・ケネディー・オナシスだ。ウィルガスが建てた駅が、今の美しい形で残るのはジャッキーの努力の賜物だ。 佐々木香奈)

星座をモチーフにしたメーンコンコースの天井。修復前は真っ黒になっていた
42ストリートからの入り口付近にあるジャッキーの記念碑。「グラセン」の今はジャッキーの努力の賜物
駅内のビデオ展示。ケネディー大統領の葬儀中継のため、市民が駅コンコースに集まった様子を伝える

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