2018/04/06発行 ジャピオン961号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今週は、20世紀初頭、今のグランドセントラル駅建設に向けての、一人のエンジニアによる壮大な構想を振り返る。

グランドセントラル駅❺

グランドセントラル駅❺

相次ぐ列車事故の末に、15人が即死した1902年1月の列車衝突事故が駄目押しとなり、グランドセントラル駅の鉄道システムが見直しを迫られることになった。その緊急性を誰よりも直感したのが、ニューヨーク・セントラル鉄道でチーフエンジニアをしていたウィリアム・ウィルガス(当時37歳)だ。今のグランドセントラル駅は、彼なくして語れない。

大胆なる「新駅構想」

事故が起こった年の12月22日、ウィルガスは、ニューヨーク・セントラル鉄道社長W・H・ニューマン宛てに駅改造案、いや「新築案」を提出した。わずか2年前に駅改築を終え、駅名もデポからステーションに変更したばかりのタイミングで、「今ある駅舎を全壊し、線路を電化せよ」と。大胆かつ無謀な構想だった。

しかし結果的にこの構想案が通り、2年後の1904年には世紀の大工事が始まっている。この時ウィルガスの構想を認可したグランドセントラル・ステーションの理事は、創設者コーネリアス・バンダービルトの孫2人と、ウィリアム・ロックフェラー、J.P.モルガンだった。

未来見据えた駅舎を

ウィルガスは鉄道エンジニアであり、建築家ではない。その彼が、駅のデザインまでも含めた総合的な「新駅構想」を練り、二つの大手建築事務所と連携し、工事の全行程を監督した。後にウィルガスは当時の新聞に、その構想が「電光石火のように頭にひらめいた」と話している。

新駅構想のポイントはいくつかあった。まず何よりも、今後の人口増加を見据え、当面のニーズではなく、未来のニーズに対応しうる規模であること。そして駅舎デザインは、アメリカ随一の大都市にふさわしい荘厳なものであること。これだけの規模の駅が100年以上前に建設され、今も機能する理由は、このウィルガスの先見の明にある。

その具体案たるや当時の常識では革命的な内容で、当然、周囲からの反発も強かった。例えば、「駅舎を高層化し、家賃収益を見込み、上層階にはオフィスを設ける」とウィルガスが提案すれば、周囲からは「閑古鳥が巣を作るだけだ」と批判され、「地下には階段ではなく傾斜通路を敷き、来る車時代に備える」と言えば、まだ馬車が主流だった当時のこと。「馬糞のにおいがこもる」と批判された。これらを、ウィルガスは辛抱強く説得した。

駅構内での乗客の流れも考慮し、設計図を作った。今のグランドセントラル駅を思い出してほしい。プラットフォームが2層構造になっている。これもウィルガスの設計で、通勤客と旅行客を分け、さらに乗る客と降りる客を分け、人の流れが逆行しないよう配慮したものだ。とはいえ、その工事を考えたら気が遠くなる話だった。 (佐々木香奈)

アメリカ随一の大都市にふさわしい荘厳なデザインであることも、ウィルガスの新駅構想のポイントだった
駅の骨格は、オリジナルの建築素材である鋼鉄。今もそのまま、駅のあちこちであえてむき出しになっている
駅構内にあるエレベーター。6階建ての上層階はメトロノースのコントロール室。一般人は立ち入り禁止だ

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