2018/03/23発行 ジャピオン959号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今週は、今のグランドセントラル駅ができた、その〝原因〟と言える1902年の列車事故を検証してみよう。

グランドセントラル駅❹

 1902年1月8日、水曜日早朝。ホワイトプレーンズ発の通勤列車118番は、マンハッタン110ストリートで他の列車を通過させるために信号待ちをしていた。午前8時15分グランドセントラル到着予定だったが、その時すでに5分遅れだった。

 この日、118番を運転していたのはジョン・ウィスカー(36歳)。ニューヨーク・セントラル鉄道勤続7年。ずっと蒸気機関車の燃料係で、前年夏、運転士に昇格したものの、担当は主に貨物列車だった。客車の運転経験は乏しく、この朝も正規の運転士の代理で118番の運転席にいた。まさか自分が、グランドセントラルの歴史を塗り替える事故を起こすことになるとは思わずに。

トンネル内で列車衝突

 事故は、パークアベニュー・トンネル内の56ストリート付近で起こった。同じ線路上で信号待ちをしていたダンベリーからの列車に、118番がフルスピードで衝突したのだ。結果、ダンベリーからの最後尾車両の乗客15人が即死。36人が重軽傷を負い、そのうち2人が数日後病院で死亡した。今に至るも、「ニューヨーク史上最悪の列車事故」と言われている。

 原因は、118番の信号無視。運転していたウィスカーは逮捕され、第二級殺人罪との判決が下っている。ちなみに、当時の信号は「緑」が「注意・警告」用だったという。要所要所に旗振り係もいた。ウィスカーがなぜ信号無視をしたのか、その理由はついぞ明らかになっていない。

 ウィスカーが列車の遅延を取り戻そうとスピードを出していたとの説がある一方、悪天候も指摘されている。この日は雪で、旗振り係が後に、「トンネル内は異常に霧深く、空気が重く、蒸気・ディーゼル機関車の排気がこもり、視界はすこぶる悪かった」と証言している。以上は、歴史書「Grand Central: How A Train Station Transformed America」(サム・ロバーツ著)にある記録だ。

ウィリアム・ウィルガス

 事故直後、現場に駆け付けた経営陣に混じって、ニューヨーク・セントラル鉄道のチーフエンジニア、ウィリアム・ウィルガスの姿もあった。ウィルガスこそが、この事故の直後、「駅の大改造」と「鉄道システムの電化」という2大改革案を提案し、今のグランドセントラル駅を実現させた人物だ。

 実際、鉄道経営陣に刑罰は下らなかったものの、当時の地方検事がニューヨーク・セントラル鉄道の欠陥だらけの信号システムを罵倒し、「またいつ事故が起こってもおかしくない」と糾弾していた。ウィルガスはエンジニアとして、経営陣よりもその劣悪な実態を把握していたのだろう。それにしても、ウィルガスの改革案は大規模かつ大胆なものだった。(佐々木香奈)

1902年1月8日(水)午前8時20分、駅構内に続くトンネル内線路で、駅の歴史を左右する衝突事故勃発
現在の駅の正式名はグランドセントラル・ターミナル。デポ→ステーション→ターミナルと名前が変わっている
この壮大な建築物は1902年の事故直後、鉄道エンジニアのウィリアム・ウィルガスが提案したもの

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