2018/03/16発行 ジャピオン958号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今週はバンダービルト一家についてと、グランドセントラル・デポが直面した問題について見てみよう。

グランドセントラル駅❸

 現在のグランドセントラル駅構内にあるバンダービルトホール、上層階のバンダービルト・テニスクラブ、駅西側のバンダービルトアベニュー。いっそのことバンダービルト駅でもよさそうな勢いだ。もちろんこれらは、グランドセントラル駅の前身グランドセントラル・デポ(1871年開設)の生みの親コーネリアス・バンダービルト(1794〜1877年)にちなんだ命名。

 スタテン島の農家に生まれ、蒸気による陸海運業で財を成した実業家だ。没年を見ると、グランドセントラル・デポが完成して数年後には亡くなっており、その後は孫が経営を継いでいる。その末裔に当たるのが、CNNの人気キャスター、アンダーソン・クーパー。鼻の辺りがご先祖さまによく似ている気がする。

 市民から金儲け主義を批判されたバンダービルトだったが、「幸福な社員はいい仕事をする」の信念の下、徹底した社員福祉を行った〝名将〟だったことも語り継がれている。駅の地下には社員専用の広いラウンジがあり、ホリデーパーティーでは豪華な食事で社員とその家族をもてなした。

デポ周辺は危険地帯

 そのバンダービルト一家が誇るグランドセントラル・デポはしかし、開設した途端に問題が露呈した。線路が路上に露出していたため、今の45ストリート辺りが事故多発地域となったのだ。ニューヨーク・トリビューン紙の「12日間で7人が列車にひかれて死亡」という記事も残っている。

 見かねたニューヨーク州政府がデポ開設の翌年には事態改善に乗り出し、3年をかけてデポからハーレムリバーまでの線路の地下トンネル工事を完成させた。しかし、走っていたのは蒸気機関車とディーゼル機関車だ。排気口はあるものの、トンネル内に蒸気や煙がこもる劣悪な環境。

 結果的に、グランドセントラル・デポの寿命はそう長いものではなかった。1900年には一度駅舎が改装され、名前も「グランドセントラル・ステーション」に変わる。そしてそのわずか2年後には、今の「グランドセントラル・ターミナル」に向けての大改造案が持ち上がり、1904年には改装工事に着手している。

蒸気機関車時代の終焉

 理由の一つは、1901年ペンシルベニア鉄道が、同じマンハッタン内に、ペンシルベニア駅の建設を始めたことだ。鉄道文化が贅(ぜい)を極めた時代に、より豪華な駅舎の建設は必要不可欠だった。

 しかし、駅舎デザイン以上に切羽詰まっていたのが、鉄道システム電化の必要性だ。もう蒸気機関車の時代は終わっていたのだ。だめ押しが、15人の死亡者を出した1902年の列車事故。霧と、機関車の排気がもたらした悲惨な事故だった。(佐々木香奈)

現在カフェが並ぶバンダービルトホールは、かつてはベンチが並ぶ待合室だった
上層階にあるバンダービルト・テニスクラブへは、オイスターバーに続く通路にあるエレベーターで
グランドセントラル駅西側の通りバンダービルトアベニューと42ストリート。「One Vanderbilt」の建築が進む

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