2018/01/01発行 ジャピオン948号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。 2018年の新春第一弾はブルックリンのパークスロープを紹介。日本人にも人気の住宅地は歴史の宝庫だ。

パークスロープ❶

 東西をプロスペクトパークの西に面する公園通りと4アベニュー、南北をプロスペクト高速道とフラットブッシュアベニューに囲まれたパークスロープは、条理に整理された区画に低層のブラウンストーンの集合住宅が連なる閑静な住宅地である。今でこそ、出版関係者や市民運動家が多く、優れた小中学校がある平和な街だが、そのむかし、このエリアは「戦場」だった。

ブルックリンの戦い

 舞台は独立戦争。1775年、東部13州政府を掌握した革命派は大陸軍を組織。76年3月17日にボストンを英軍から解放すると、勢い付いた総指揮官ジョージ・ワシントン将軍はマンハッタン島南部に軍勢を移し、海路で侵入する英軍を迎え撃つ体制を整えた。そして同年7月4日に独立宣言。対する英国軍のハウ将軍は、スタテン島から物資と兵員を密かに上陸させる。その数は3万2000に達し、ニューヨーク湾口は英軍の支配下に。

 ワシントンはマンハッタンが決戦の場になると踏み、ほぼ全軍を同島南端に結集させた。ところが8月22日、ハウの軍隊は、スタテン島からベラサノ・ナローズを渡ってブルックリンの南に上陸。北上して、今のゴアナス辺りの高台にいた大陸軍の守備隊を背後から襲った。程なく東西南北から英軍が押し寄せてくる。現在のプロスペクトパークやグリーンウッド墓地辺りで激戦が繰り広げられたが、ワシントンの読み違えで軍勢が少なかった大陸軍は圧倒的劣勢。ほうほうの体でブルックリンハイツ方面に退軍した。

 そんな中、ウィリアム・アレクサンダー将軍率いる部隊400人(その中心はメリーランドからの義勇兵)は、オールド・ストーンハウスと称する農家に陣取っていた英軍に襲撃をかけた。敵はドイツ人傭兵も含め2000。大陸軍は6回の攻撃の末、力尽き投降した。

 誰が見ても勝ち目のない戦いだったが、大陸軍にとっては大きな「時間稼ぎ」となり、結果、ワシントンは夜霧に乗じブルックリンの駐屯兵1万を一人残らずマンハッタンに避難できた。それからの大陸軍は敗北が続き、マンハッタンからも撤退し、7年にわたる過酷な独立戦争が続いたが、オールド・ストーンハウスの戦いのおかげで、ワシントンは命拾いした。

 歴史的戦いを目撃した石造り農家は、今も5アベニューと3ストリートの角辺りに建つ。正確に言うと、オリジナルのストーンハウスは、崩壊して一時、地中に埋没していた。後年、発掘し同じ建材で再現し、史跡としたのがこの屋敷だ。博物館として一般公開され、独立戦争でブルックリンが果たした役割がジオラマ展示で説明されている。英国のくびきから逃れようともがいていた新国家米国の素顔とこんなご近所で出会うとは。意外だった。(中村英雄)

オールド・ストーンハウス博物館。児童公園の片隅に立つ18世紀式の石造建築はひときわ目をひく
博物館の戦場ジオラマ展示。写真左手が大陸軍。右手が英国軍。奥に被弾したストーンハウスが見える

バックナンバー

NYジャピオン 1分動画