2017/12/01発行 ジャピオン944号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今回は、先住民族の時代から開拓期を経て現代まで、交通の要衝として発展したジャマイカの歴史を振り返る。

ジャマイカ❺

全ての道はジャマイカに…

 ジャマイカにはJFK国際空港がある。紛れもなくニューヨーク、ひいては東海岸一帯の国際玄関だ。JFKへの交通の要衝でもあり、地下鉄もロングアイランド鉄道(LIRR)も、エアトレインはジャマイカ発着。正確にいえば、LIRRならジャマイカ駅、地下鉄ならE線のサットフィン・ブルバード駅(終点ジャマイカセンター駅の一つ手前)だ。

 歴史書「イメージズ・オブ・アメリカ〜ジャマイカ」(アーケーディア出版)の一章で、「AllRoadsLeadto Jamaica(全ての道はジャマイカに続く)」と書かれている。ジャマイカは、歴史的に交通の要衝として発展してきた土地なのだ。

 先住民族の時代から、今のジャマイカ・アベニューが行商ルートだったことは以前書いた。彼らの交通手段は主に徒歩。1700年代から1800年代にかけての開拓時代に入ると馬車が主流になるが、砂利道はある、沼地はあるで、当時の道路事情は劣悪だった。線路や、板張り道路といった〝交通文明の利器〟が登場し始めたのがこの時代だ。

 1851年、キングズ・ハイウエー(今のジャマイカ・アベニュー)は「ブルックリン・ジャマイカ・プランクロード」と呼ばれた。「プランク(板)」の文字通り、厚さ3〜4インチ、長さ8フィートの松や樫の板が道路に張り詰められ、馬車が通りやすいように道が整備されたのだ。しかも料金ゲート付き。同じ時代の日本なら「関所」といったところか。有料道路のハシリだ。

LIRRの台頭

 LIRRの歴史は、まだ馬車文化の時代だった1830年までさかのぼる。初期の経営は決して順風満帆ではなかった。その頃LIRRは、マンハッタンからボストンまでの船・列車のコンボルートを完成させるべく、未開の地ロングアイランドに線路を敷き始めていた。そのルート沿いにあったのがジャマイカだ。

 1844年、ロングアイランドの北端まで線路を完成させると、そこから船で対岸のコネティカットに渡り、さらに鉄道に乗り換えてボストンまで行けるようになった。LIRRは、ひとしきり歓喜の声を上げたという。が、その喜びも束の間だった。蒸気船富豪のコーネリウス・バンダービルトや、船の乗り換えが必要ない鉄道のみのルートが早々にできてしまい、わずか3年後の1847年にはLIRRのルートは無用の長物となってしまう。

  その後は、小規模・低利潤の運送事業を展開しながらのサバイバルの時代に入った。それでも潰れずに生き残ったからこそ今があるわけだが、その転機は、ペンシルベニア鉄道がLIRRの大株主となった1900年にやってくる。現在我々が甘受する交通システムの土台が建築される時代へと突入する。(佐々木香奈)

LIRRジャマイカ駅はJFK国際空港へのエアトレイン発着駅。地下鉄、バスなど交通の便はクイーンズ随一
道路も線路も「All Roads Lead to Jamaica」(「イメージズ・オブ・アメリカ〜ジャマイカ」の一章から)

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