2017/11/24発行 ジャピオン943号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今回は、開拓時代から現在までのジャマイカの人種構成と、その変遷の歴史を振り返る。

ジャマイカ❹

人口構成と歴史背景

 2010年の国勢調査によると、クイーンズ区ジャマイカの人種構成は、黒人48・2%、ヒスパニック22・1%、白人19・9%、アジア系10・5%、その他9・4%。ジップコード別にみると、人口の9割以上が黒人の地区もある。その発端は、開拓時代にさかのぼると言っていいだろう。

 17世紀にはアフリカからの奴隷が、ジャマイカを含むロングアイランド一帯の農場で働いていた。

 歴史書「イメージズ・オブ・アメリカ〜ジャマイカ」(アーケーディア出版)によると、当時の地元紙には、現代規準では到底印刷できない表現で、とんでもない内容の記事が掲載されたものだという。「ジャマイカのW・ローレンス大尉宅のニグロの奴隷が、シーツを盗んだ罪によりムチで39回打たれ、額に熱鉄で盗人の印を押された」(1672年ロングアイランドのある地元紙)といった具合に。

 1700年代半ばになると、黒人コミュニティーのための初めての教会が建てられ、1837年以降は地元のエピスコパル教会が黒人の子供たちのための日曜学校をいくつか開いている。それらのうち二つの教会が、現在のCUNYヨークカレッジ内に残っている。地下鉄E線ジャマイカセンター駅南、頭上を走るロングアイランド鉄道をくぐった先がキャンパスだ。

ホワイトフライトの時代?

 一転して、白人が圧倒的に多かった時代もある。19〜20世紀初頭だ。特にサウス・ジャマイカ(地下鉄E線以南、JFK以北のエリア)にアイルランドから移民が押し寄せたため。彼らはしかし、1950年代になるとこぞって都市部に移住し始める。代わって住み始めたのが中流階級の黒人層だ。この白人流出現象は後に「ホワイトフライト(white flight)」と呼ばれた。そして70年代の不動産市場暴落を機に、中南米、西インド諸島からの移民が流れ込む。

 90年代以降は、ご存じの通りニューヨーク市全域で、程度の差こそあれ「ジェントリフィケーション=再開発高級化」が進み、ジャマイカもその波に少なからず乗った。特に150〜161ストリートのヒルサイドアベニュー一帯(地下鉄F線パーソンズ・ブルバード周辺)に、それが顕著だ。安全性と利便性を求めて、人種を超え多くの家族が移住してきた。今最も増えているのがバングラデシュ・コミュニティーで、スリランカやフィリピンが続く。

 ジャマイカが現在の黒人中心・多国籍移民の街になったのは、ざっとこういう経緯だ。目抜き通りのジャマイカ・アベニューでさえ未開発感は拭えないが、ニューヨークの国際玄関JFKのお膝元立地だけに、ジャマイカ観光地開発計画も浮上しているほど。ポテンシャルなら市内最高レベルではないか。(佐々木香奈)

6つのジップコード11434、11436、11433、11430、11435、11432がジャマイカ。JFKも含まれる
ヨークカレッジCUNYキャンパス入り口。地下鉄E線ジャマイカセンター駅南一帯
E線ジャマイカセンター駅付近のジャマイカ・アベニュー。未開発感は拭えないが、ポテンシャルは大きい

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