2017/11/10発行 ジャピオン941号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。17世紀、クイーンズ郡(カウンティー)が形成された際の中心地だったジャマイカ。その入植期の歴史を振り返る。

ジャマイカ❷

いにしえの行商ルート

 ジャマイカの中心街を横切るジャマイカ・アベニューは、16世紀以前、先住民が暮らしていた時代の行商ルートだった。遠くはオハイオ川沿い地域(今のペンシルベニア・オハイオ・ウェストバージニア・ケンタッキー・インディアナ・イリノイ各州)や五大湖周辺に住む先住民族が、獣皮や毛皮の行商にやって来たものだと、歴史書「イメージズ・オブ・アメリカジャマイカ」(アーケーディア出版)に記録されている。

 当時の貨幣は、「Wampum」と言われ、細長い貝殻を磨いてつなげた数珠のようなものだった。彼らの交通手段は徒歩か、カヌーでの川の上り下り。ジャマイカの砂利道を歩く先住民のイラストが残っている。

2丁の銃と1着の上着

 この地に住んでいた先住民族は、カナーシー族とロッカウェー族だ。オランダからの入植者が1655年、拳銃2丁・上着1着と引き換えに、先住民から今のベーズリー・ポンド公園(JFK国際空港のすぐ北のエリア)以北の土地を購入。

 翌年、オランダの指揮官ピーター・スタイバサントがそこを「Rustdorp」(「静かな村」の意)と名付け、正式にオランダ領とした。この名前はしかし、当時の入植者の間で定着しなかった。今「ジャマイカ」と呼ばれるようになった経緯は前回書いた通り、先住民族によるもともとの地名「Yemacah」が訛ったものだ。

 スタイバサントの下、最初に形成された入植者コミュニティーは、現在の地下鉄E線ジャマイカセンター駅以南一帯だった。

 それにしても、土地の代金が拳銃2丁と上着1着とは。同じクイーンズ区フォレストヒルズの値は、白い陶器3個だったと伝えられる。貝殻を貨幣にしていた先住民にとっては、拳銃も上着も陶器も、宝のように見えたに違いない。アメリカの歴史は先住民の虐待史であることを思うと、当時のヨーロッパからの移民が、原始的な生活をする先住民族を手玉に取った様子がうかがえる。

 オランダの統治は長くは続かず、1660年代後半には統治権がイギリスに移る。1683年クイーンズ郡が形成されると、ジャマイカはその中心地となった。同年から1788年までの百年以上、クイーンズ郡庁所在地だったのが、ジャマイカだ。今でも区の民事・家庭裁判所や米食品医薬品局(FDA)北東支部研究所など、政府関連機関が多く集まる。

 ジャマイカは、その境界が極めて曖昧で、そして広大。地下鉄E・F線、ロングアイランド鉄道ジャマイカ駅周辺が中心地ではあるが、ずっと南のJFK国際空港も正式な住所表記をジャマイカとしている。隣町のキューガーデンズも、括り方によってはジャマイカに含まれることがある。(佐々木香奈)

地下鉄E線ジャマイカセンター駅付近。この辺りが最初の入植者コミュニティーだった
現在のジャマイカ・アベニュー。地下鉄E線ジャマイカセンター駅前のこの通りは、ジャマイカの中心地

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