2017/10/27発行 ジャピオン939号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。ハイライン建設では、一般市民が市議会や都市計画事務所などに地道に働き掛け、高架廃線公園が実現した。

ハイライン❽

 元コンサルタントのロバートと紀行作家のジョシュアが、高架線保護のためNPO団体「ハイライン友の会」を立ち上げたのは1999年のこと。すぐに近隣住民や芸術家、デザイナーらの支持を得たが、不慣れな公聴会では、不動産所有者たち相手に苦戦した。

「解体命令」発動

 解体派は強力なロビイングで、2001年、任期切れ寸前のジュリアーニ市長(当時)に「高架線解体」命令に署名させた。公聴会では「高架線公園?結構なお話だが夢物語さ」「何が悪いの?ニューヨークはみんなの夢の上に立つ街よ」などと激しい舌戦が繰り広げられたそうだ。

 逆風にもめげず、新市長マイケル・ブルームバーグに掛け合ったロバートたち。ニューヨークタイムズはじめ地元メディアも応援した。何よりも高架線を所有する鉄道会社CSXの支援が効いた。文化や芸術支援に関心が高いブルームバーグは、運動の盛り上がりに胸打たれ「友の会」に賛同。02年、裁判所により解体命令は「無効」の判決を受けた。

 その後、「友の会」は高架線を公園に開発するための「公開アイデアコンペ」を開催(03年)。全世界36カ国から720件もの応募があった。翌年、集まったアイデアを元に具体的な建築コンペを開き、最終的に4案の決戦となる。うち1案は、東京五輪のメーンスタジアムの設計コンペで優勝し採用となるも施工に至らなかった、故ザハ・ハディドによるものだ。

 結局、ニューヨークに本拠を持つジェームス・コーナー・フィールド・オペレーションズとディラー・スコフィディオ+レンフロの共同提案が採用となり、現在のハイラインの姿が形作られた。20世紀の遺構をリスペクトしつつもニューヨーク州固有種によるナチュラルな植生の再生とモダンなタッチを共存させる、有機的な再開発が特徴で、06年に始まった工事は09年に第1区間(ガンズボールトから20ストリートまで)完成。11年に第2区間(20から30ストリートまで)完成。14年に第2区間(30から34ストリートまで)が完成し全線開通となった。

終点近くの絶景

 本散策もその第3区間に突入。そろそろ終点だ。30ストリートから西へ直角に曲がる高架線は、26エーカーの広大な電車基地「ウェストサイド・レールヤード」の外周を大きな「コの字」を描きながら巡る。丁度、ペンステーションの裏手に当たり、ロングアイランド鉄道の通勤車両が20編成以上ずらりと待機する光景は壮観だ。

 すぐ横手では、全米最大の再開発事業と呼ばれる「ハドソンヤード」建設の槌音(つちおと)が鳴り止まない。今年83歳を迎えたハイラインには、壮大な未来が待っている。(中村英雄)

第3区間からみる電車基地。将来的にはこの上にも再開発でビルや学校が建つ計画がある
ハドソンヤード計画の完成予想図。総床面積約1800万sq.ft.にオフィス、商業施設と4000世帯の住宅が入る
ハドソンヤードの可動屋根付き劇場「ザ・シェッド」の鉄骨。ディラー・スコフィディオ+レンフロの設計

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