2017/10/20発行 ジャピオン938号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。開園以来、2000万人以上が訪れているハイラインは、一時解体の憂き目にもさらされた。救ったのは市民たちだ。

ハイライン❼

 トラック輸送の普及と相次ぐ工場の地方移転で貨物用高架引き込み線はお払い箱となり、1980年に閉鎖された。以来、長年放置され、人々の意識の中からも消えていた。片や46年の歴史を誇るこの高架線を何とか守ろうとする動きも当初からあった。

「解体」対「保存」の時間軸

 83年に高架線を所有していた鉄道会社コンレールは、収益が望めないという理由で線路の解体を示唆。対して、高架線を温存して将来的な線路の再利用を目指すウェストサイド鉄道開発基金が発足した。

 同年、米連邦議会下院は、廃線の遊歩道や自転車専用道路への再利用を許可する法案を可決。この波に乗じて鉄道開発基金は84年に、コンレールから「10ドル」で線路を譲り受ける交渉に乗り出すが、高架線の解体を支持する地元チェルシーの不動産所有者たちの団体と真っ向から対立する。

 大規模な再開発で資産価値を上げたい不動産関係者たちにとって、高架線は目の上のたんこぶ。一日も早く取り壊したい彼らにニューヨーク市も連衡する。86年に市は鉄道開発基金に対しハイライン取得を認めない訴訟を起こし、同基金の思惑は粉砕された。

 89年には不動産所有者グループの要求が通りコンレールは、高架線の廃止解体の命令を受ける。91年には最南端5ブロック分の解体が行われ、高架線は現在のようにミートパッキング地区で、突然、切断された形になった。

失われた自然の回復

 なし崩し的に解体が北へ進むかと思いきや、99年にコンレールがCSXトランスポーテーション(東海岸に展開する最大級の鉄道会社)に吸収されると風向きが一気に変わる。

 CSXは、高架線の再利用に関する徹底調査を行い、線路は遊歩道またはライトレールに好適との結論を出した。

 CSXの、保護に好意的な見解が同年7月のニューヨークタイムズ紙上に発表されると市民の反応があった。何よりもの驚きは、CSXの命を受けてフォトグラファーのジョエル・スターンフェルドが撮影した写真。マンハッタンではとうに失われた天然の草木が、人知れず回復して廃線を覆い尽くしていた。その光景があまりにも愛おしく人々の胸を打った。「これは公園にして守らなくては」と。

 中でもひときわ心揺さぶられたのが、ロバート・ハモンド(チェルシー在住。元コンサルタント)とジョシュア・デービッド(グリニッジ・ビレッジ在住。元旅行ライター)だろう。

 99年に住民説明会で偶然出会った二人は、解体派が依然として大多数であることに危機感を覚え、即座に「ハイライン友の会」を発足する。続きは次回。(中村英雄)

ハイラインで貨物を引く機関車。背後にエンパイアステートビルが見える(遊歩道脇のパネル展示から)
スターンフェルド撮影の廃線上の自然。撮影場所は上の写真とほぼ同じ(写真提供=ハイライン友の会)
遊歩道脇に線路の一部が残され、放置時代の面影を伝える。ニューヨーク流「諸行無常」と言ったところか

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