2017/09/15発行 ジャピオン933号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。最南端から始めたハイライン散策。3回目はチェルシーマーケット辺りまで北上して、かつての工場の面影を慕う。

ハイライン❸

 前回は、1912年4月にタイタニック号が到着するはずだった第54埠頭の話で終わったが、沈没事故のちょうど1カ月前、埠頭が見える場所から、ハイラインを少し北に行ったところにあるナショナル・ビスケット社(通称ナビスコ)の工場で、世界的な銘菓が誕生している。円形のチョコレートクッキーに白くて甘いクリームを挟んだ菓子。あの「オレオ」である。発売と同時に絶大な人気を博し、全米はもとより海外100カ国以上に普及した。

菓子工場の登場

 19世紀後半の米国では焼き菓子会社が乱立していた。それが南北戦争終結後、製造業の近代化に伴い、1890年代に入ると地域ごとに合併。98年、アメリカン・ビスケット製造、ニューヨーク・ビスケット社、合衆国ベーカリー社の3大手、計114工場が合体して生まれた巨大企業がナビスコである。

 ナビスコは、合併で手中にした地方都市の人気菓子を次々に大量生産し全国区でヒットさせる。今も売られているフィグ・ニュートンというイチジクの銘菓も、元は吸収したケネディー・スチーム製菓(ボストン)が考案したもの。

 他社製品も容赦なく真似した。実は、「オレオ」も競合相手サンシャイン・ビスケット社が1908年に発売した「ハイドラックス」のほぼ「丸コピー」。ところが、ナビスコが潤沢な資金を投じたキャンペーン「ミルクに浸してオレオを食べよう」が大当たりしたため、大衆は「ハイドラックスの方が真似た」と思い込み、ハイドラックスは2流の汚名を着たまま、99年に製造中止になった。一部熱狂的なファンの要望もあり2015年に同商品は復刻したので、食べ比べるといい。ハイドラックスの方がクッキーにやや苦味と硬さがあって白クリームの甘みが控えめだ。

高架でくぐる工場跡

 オレオ大ヒットの翌年、ナビスコは9、10アベニューと15、16ストリートで囲む1ブロックを占拠する工場を開設。ここから無数のオレオが全米全世界に流通したが、当時は、まだ地上の引き込み線しかなかった。

 高架線(現ハイライン)開通は1934年になってから。奇しくも同年、ナビスコ社のもう一つの代表的銘菓「リッツ」クラッカーが発売された。拡張した工場ビルの一部を高架線が貫く部分は、昔のままに残っていて、散策者は往年の空気を追体験できる。

 ちなみに、ナビスコは本社工場を59年に売却。長年放置されていたその跡には95年以来、米国版デパ地下「チェルシーマーケット」が入っているので、小腹が空いたら立ち寄るといい。ただし、高級志向ゆえ、オレオもリッツも売っていないのであしからず。(中村英雄)

1913年完成のナビスコ本社工場。当時全米最大規模を誇った(写真はチェルシーマーケットの展示から)
高架引き込み線が貫通するナビスコ工場。貨物積み下ろしのため5階建ての新棟が増築された(白い部分)
旧ナビスコ工場の下をくぐるハイライン。ビルの形状は83年前と同じだ

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