2017/09/01発行 ジャピオン931号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今号から8週にわたり、人気のスポット「ハイライン」にまつわる「歴史と現在」を徹底的に探訪する。

ハイライン❶

 ハイラインとは、廃線となった高架の貨物引き込み線を利用した全長2・33キロの遊歩道公園のこと。最南端は、ミートパッキング地区のガンズボールトストリートで、2015年に開館した新装ホイットニー美術館と直結している。そこから10アベニュー沿いに北へ向かい、34ストリートのジャビッツセンターの隣まで、ビルの下や谷間を潜りながら伸びている。北端部分は、ペンステーションに隣接するロングアイランド鉄道の電車基地を囲むように巡っている。

 古い線路は一部を残し撤去。代わりにアートがあふれる遊歩道が敷かれており、両脇にはニューヨーク州固有の植物群が植えられ、さしずめ尾瀬ヶ原の木道を歩くような気分だ。大都会のハイキングコースと言ったら言い過ぎだろうか。

ハイライン前史

 今シリーズは、いつものエリア散策とは趣向を変えて、ハイラインを最南端から最北端まで縦走し、高架線とウェストサイド近辺の歴史をひも解いてみたい。

 ただの廃線跡には違いないが、歴史の文脈で見ると色々面白いこともある。まず、なぜここに高架線が敷かれたか?当地の鉄道史と大いに関係がある。

 19世紀米国の工業化の背骨となった鉄道は旅客・貨物の最大輸送手段だった。カーネギーやバンダービルトなど、鉄道インフラを制する実業家は神のような権力を振るった。特に貨物分野では、ニューヨークは最も重要な輸出入港の一つで、世界中から入荷する貨物や資材、原料が荷揚げされ、鉄道で全米に流通された。1847年には10アベニューの路面に貨物の引き込み線が敷かれる。ハドソン川沿いに北部オールバニ方面まで届く物資輸送の経済大動脈の出入り口となるが、輸送量が破格に大きく、頻繁に通過する貨物列車は、路上の馬車や通行人を巻き込む衝突事故が発生した。

ようやくできた高架線

 66年前後には状況が悪化し、「何とかしろ!」と求める市民が声を上げた。1908年に鉄道、船舶、路上交通の混雑が極限に達し、総勢500人超のデモ隊が引き込み線廃止を訴え行進した。挙句に、10アベニューには「死の大通り」と不名誉なあだ名まで付く。20年代になっても事態は好転しない。無策の鉄道会社は、馬に乗った警備員に赤旗を振らせ機関車を先導させる策を講じる。近代化と逆行するその光景は「ウェストサイド・カウボーイ」とやゆされた。ついに24年には市交通局が引き込み線の撤廃を命令。鉄道会社との押し合いを経て27年、高架線敷設案の合意に至る。29年に引込み線取り外しが始まり、31年から高架線建設が開始された。完成は34年。次回は、ハイラインに上がって、それ以降の「足跡」をたどる。(中村英雄)

ハイライン建設以前。地上引込み線で道路が大混雑していた時代
機関車を先導する「ウェストサイド・カウボーイ」(1920年代)

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