2017/08/25発行 ジャピオン930号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。キップスベイの最終回は、謎の路地「ブロードウェーアリー」と、国連学校の歴史を振り返る。

キップスベイ❽

 謎の多いキップスベイの歴史。この連載の前半で「ローズヒル・ヒストリックハウス」(29th St. bet. 2nd & 3rd Aves.)の生い立ちを追い、「不明のまま」的な結論にたどり着かざるを得なかった。実はもう一つ、キップスベイには説明のつかない場所がある。3&レキシントンアベニューの間の、26&27ストリートをまたぐ路地「ブロードウェーアリー(Broadway Alley)」だ。グーグルマップにもちゃんと名前が載っている。

忘却の路地、名前の謎

 著者「ForgottenNY」(ケビン・ウォルシュ著)は、その名の通り、ニューヨーク市内の忘れ去られた歴史や場所について書かれているが、それによるとブロードウェーアリーはまさに「忘却の路地」だ。この路地は1830年代から存在するという。1811年マンハッタンの碁盤目開発が開始された直後だ。1882年の地図に路地はあるが、まだ無名。「ブロードウエーアリー」の名前が現れたのは1909年ごろだと思われる。

 マンハッタンを南北に走る「ブロードウェー」とは無関係だが、当時のこの辺りの土地所有者が、劇場街のような華やかさを求めて呼び始めた、という説が唯一語り継がれている。

 その願いもはかなく、200年余の歴史を持つこの路地は、長い間売春や犯罪の巣窟だったのだが。厩舎(きゅうしゃ)だった時代やサーカス団が象を住まわせていた時代があるともいわれる。現在はもっぱら駐車場。ちゃんと名前まである路地には到底見えない。

 さてキップスベイにはもう一つ路地がある。「アッサー・レビー・プレイス(Asser LevyPl.)」(23&24ストリート、FDRのすぐ西)だ。こちらは、17世紀開拓時代の精肉業者で、ユダヤ人人権運動家だった人物の名前が冠されている。

 そのアッサー・レビー・プレイスからFRDを渡った所にあるのが、国連学校(UNIS)だ。

国連学校の設立

 この場所に国連学校ができたのは1947年。国連関係者によって設立された私立学校だ。キャンパスはキップスベイと、クイーンズ区ジャマイカの2カ所。キップスベイ・キャンパスは、キンダーから12年生。国際バカロレア(IB)の初期認定校の一つだ。

 IBは、1968年スイスで設立された非営利団体による教育プログラム。外国に住む国際機関や外交官の子供向けに、世界共通の大学入学資格を与えるために開発されたもの。

 国連学校はその名の通り、世界各国から集まる子供への、母国の文化・言語の継承教育に重点を置くことを目的に設立されている。現在は、外交官以外にも一般家庭の子供も多く通う。キップスベイが誇る教育機関と言っていい。(佐々木香奈)

3&レキシントン・アベニューの間、26&27ストリートを通り抜ける謎の路地「Broadway Alley」
23ストリートとFRDにある国連学校(UNIS=United Nations International School)

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