2017/07/14発行 ジャピオン924号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今回は、アメリカ独立戦争と、キップスベイの“Dデー(英軍上陸)”について振り返る。

キップスベイ❷

 7月4日はアメリカ独立記念日。今年も34ストリートを中心に、イーストリバーで盛大に花火が上がった。この花火大会は、年によって場所が変わることもあるが、歴史的に見て今年の場所で上げられることが多い。理由はスポンサーであるメイシーズが34ストリートにあるからなのだが、実はキップスベイがあるイーストリバー沿いのこの一帯は、アメリカの独立の歴史と深いかかわりがある。キップスベイの歴史を語る上で、独立戦争時の「英軍上陸」は外せないだろう。

アメリカ独立戦争

 米東部の英領13植民地(大陸軍)と、英軍との間で繰り広げられた独立戦争は、1775年から83年まで続いた。ボストン包囲戦の後、大陸軍が英軍をボストンから追い出し、開戦1年後の76年7月4日には、「アメリカ独立宣言」が大陸会議で採択されている。

 独立後、米軍となって初の戦いが、76年8月22〜30日の「ロングアイランドの戦い」だ。米軍にとっては、ボストンに続いて必勝の一戦であり、対する英軍にとっては挽回の機会。主戦場は、「ロングアイランド」とはいえ、実際には今のブルックリンだ。独立戦争中最も激しい戦いとなった。

 英軍の指揮を執ったのはウィリアム・ハウ将軍。対する米軍はジョージ・ワシントン(のちの初代大統領)、イズラエル・パットナム、ウィリアム・アレクサンダーの3将軍だ。このとき米軍は敗退。なんとかマンハッタンまで逃げ延びた。

キップスベイの〝Dデー〟

 その直後の(1776年)9月15日が、いわゆる〝Dデー〟。英軍によるキップスベイ上陸だ。勢い付くハウ将軍が、4000とも1万2000ともいわれる軍を率いて上陸し、英軍がニューヨーク市を占領した。上陸場所は、現在の場所でいうとちょうど33ストリートと1アベニュー。当時は32〜37ストリート辺りまでが湾だった。

 残念ながら、この歴史的な英軍上陸場所を残す〝遺跡〟のようなものは何もない。敗退の歴史とはいえ、実質的な米国独立への軌跡だ。何か残せなかったものか。今は病院が立つばかりだ。ちなみにニューヨーク市は、パリ条約の翌年(1784年)、イギリスがアメリカに明け渡すまでその支配下にあった。

 独立戦争当時の建物で、唯一キップスベイに残っているのが、29ストリートの2、3アベニューの間にあるタウンハウス「ローズヒル・ヒストリックハウス」だ。マンハッタンに残る数少ない木造家屋の一つで、築年は正確には分かっていない。1790年ごろとも1870年ごろともいわれ、その開きたるや100年近い。謎の多いキップスベイの歴史ならではの曖昧(あいまい)さだ。現在は国の歴史保護建造物に指定されている。(佐々木香奈)

地図、写真上の丸囲み周辺が英軍が上陸した「Dデー」の場所。当時、内陸の建物(病院)の場所は湾だった
中央の白い建物が、独立戦争時代から残る唯一の建物「ローズヒル・ヒストリックハウス」(203 E. 29th St.)

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