2017/07/07発行 ジャピオン923号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。ミッドタウンイーストの死角のようなエリア、キップスベイには、どんな歴史があるのだろうか。

キップスベイ❶

 マーレーヒル、タートルベイと共に、ミッドタウンイーストを形成するキップスベイ。ただ、ソーホーやチェルシーなど、マンハッタンの著名なエリアの影に隠れ、全くもって目立たない。ミッドタウンイーストというくくりの中に、完全に埋もれているイメージがある。

 そもそもキップスベイとはどこからどこまでのことか。ニューヨークタイムズ紙の定義では南は23ストリートから北は34ストリート、西はレキシントンアベニューから東はイーストリバー沿いとなっている。実際、これが住民にとって妥当な区分けだろう。が、アメリカ建築家協会(AIA)によると、西は2アベニューまでだそうだ。どちらもとりあえず正しいのだろう。

大地主・キップ一族

  マンハッタンのほかの地区の歴史にもれず、キップスベイの歴史も1600年代初頭までさかのぼる。それにしても、キップスベイの歴史書なるものは皆無に等しい。執筆するに当たって、かろうじて見つけた2冊は、いずれも1800年代の初版本からコピー印刷されたもの。古いタイプ文字もそこかしこでかすれた、極めて読みにくい小冊子だ。しかも、いずれも「キップ一族の歴史」をたどったもので、「キップスベイ」という街の歴史についてではない。ある意味謎が多い、不思議なエリアと言わざるを得ない。

 その2冊のうちの1冊が、「Historical Notes of The Family of Kip of Kipsburg and Kip’s Bay, New York」(ウィリアム・キップ著)=写真=だ。キップ、キップと3回もタイトルに出てくるあたり、かつてキップ一族が一帯の大地主だったであろうことは容易に想像がつく。

英軍が上陸した湾

 事実地名は、1600年代のオランダ人入植者ジェイコブス・ヘンドリックソン・キップ(1631〜90年)にちなんだもの。ジェイコブスの父親ヘンドリックが、今の30ストリート以北のイーストリバー沿いの大農場主だったのだ。ただ、その頃は川がもっと陸に食い込んでおり、小さな湾(ベイ)があった。その後埋め立てられ、湾は姿を消して今の地形になったが、「キップスベイ」の地名は残された。

ちなみに、その湾こそが独立戦争時、英国軍が攻め込んでマンハッタンを攻略した場所だ。それについては隣接するマーレーヒルの歴史連載でも少し触れたが、当該地である今回の連載では、追ってもう少し踏み込んでみるつもりでいる。

 このキップ一族のファームハウスが、1655年から1851年まで立っていたのは、今の2アベニューと35ストリート辺りだ。取り壊された時点で、マンハッタン最大規模のファームハウスだったと記録がある。初代大統領ジョージ・ワシントンも訪れ、キップ一家と食卓を共にした場所だという。(佐々木香奈)

2アベニューと30ストリートかいわいは、キップスベイ・プラザと呼ばれるキップスベイの中心街
1800年代初版をコピー印刷した2冊。いずれもフランスに起源を発するキップ一族の歴史がつづられている

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