2017/06/09発行 ジャピオン919号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。20世紀後半、落ち目のソーホー地区に高速道路建設計画が持ち上がる。権力対住民の激しい戦いの跡を歩く。

ソーホー❻

地獄の100エーカー

 19世紀末にソーホーの衰退が始まった。鉄筋コンクリート工法の導入で、高層ビル建築が可能になり、市内の成長点はフラットアイアンビル(1902年)の建つ23丁目辺りに移った。小売店は続々と北へ移り、夜の蝶たちも飛び去った。たちまち陳腐化した鋳鉄製のビルには、空室が目立ち、貸し倉庫や印刷工場くらいしか入らなくなった。夜は閑散として凶悪犯罪がまん延。人呼んで「地獄の100エーカー」。

近代化の目の敵

 1920年代から、この地獄にメスを入れてやろうと狙っていた人物がいた。ニューヨーク市公園局長他12の肩書きを持つ都市計画の「親方」ロバート・モーゼス(1888~1981)である。自動車交通こそ近代都市の証と信じるモーゼスは、トライボロ橋の架橋を皮切りに、ブルックリン・クイーンズ高速道(BQE)、ブルックリン=バッテリー・トンネル、スロッグス橋、ヴェラサノ橋、などを次々に建設。驚異的な実行力でニューヨークを車の街に生まれ変わらせようとした。一方で、スラム化したエリアを一掃して住人を低所得者用高層アパート(プロジェクト)に移住させ、モータリゼーション推進のために由緒あるペンシルベニア駅を解体するなど乱暴な政策も多く、後年は市民の反感も買っていた。

 そのモーゼスの悲願の一つが、マンハッタン橋の出口とホランドトンネルを高速道路でつなぐ計画「Lower Manhattan Expressway(略称LOMEX)」で、44年にニューヨーク州から承認されていた。 予想図を見ると片側5車線の自動車専用高架道路が、リトルイタリーからちょうどブルームストリート沿いにソーホーをぶった切る。歴史あるキャストアイアンビルが取り壊しを余儀なくされ、立ち退き世帯数の予想は約2000。道路周辺に残った住民も騒音と排気ガスと日当たり悪化でダメージは甚大なはずだ。しばらく計画は頓挫していたが、62年、突如モーゼスは高速道建設の鍬入れを開始。当然、住民は憤然と立ち上がりモーゼス(=市当局)との間に激しい闘いが始まる。

女性闘士、権力と対峙

 この反対運動の急先鋒に立ったのが、ジャーナリストのジェーン・ジェイコブ氏(1916~2006)だ。ヴォーグ誌他の編集を経験した彼女は一貫して自動車優先社会に警告を発していた。同じ62年には、自ら暮らすグリニッジビレッジの環境が、モーゼスによる道路新設計画でズタズタにされることに真っ向から反対し、工事中止を勝ち取った。ぶ厚い眼鏡がトレードマークの小柄なジェーンが、モーゼスの強行するLOMEX計画といかに渡り合ったのか? 続きは次回をお楽しみに。(中村英雄)

LOMEXは、ソーホー地区を高速道路が通過する一大都市計画だった
1962年にモーゼスが突然、建設作業を始めたブルームストリートとクリスティストリートの角
現在のブルームストリート。LOMEXが建設されていたら通りの北側の歴史あるビルはことごとく解体されていた

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