2017/05/05発行 ジャピオン914号掲載記事

この街に住みたい

 世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今週から8回にわたってソーホーを歩く。流行発信地のベールに隠れた過去を掘り起こせば意外な事実がごろごろ。

ソーホー❶

ソーホーの生みの親

 誰もが知っていることかもしれないが、一応おさらいしておく。ソーホー「SoHo」とは「Southof Houston(Street)」の頭の二文字ずつをつなげたエリア名称で、プリンストン大学の都市計画学者チェスター・ラプキン博士が1962年に生み出した。当時、衰退した旧工業地帯を再開発するのに、耳触りのいい新造語「ソーホー」は抜群の効果があり、その後、同様の効果を狙ってトライベッカ、ノリータ、ノマドといった略称型ネーミングが続出した。

 ソーホーの北限はハウストン(スペルは同じでも発音はヒューストンではないので要注意)ストリートで、南限はキャナル・ストリートだが、東西の境界が諸説紛々ではっきりしない。西はウェストブロードウェーという人がいれば、ハドソン川岸までとの主張もある。東は、石畳が残るクロスビー・ストリートを境とする厳格派とセンターストリートまで許容する穏健派に分かれる。ただ、エリアの視覚的特徴として一つ言えるのは、ニューヨークの他のどの地域と比べてもソーホーはビルの建築様式に統一感があることだ。19世紀半ばに大流行したキャストアイアン工法(後述)で建てられた装飾性豊かな建物が整然と並ぶ様は、美しい。街の至る所に漂う在りし日の栄光。パリやローマなどヨーロッパの都市を歩いている気分になる。

嫌われ者の湿地帯

 その昔、西欧人が上陸する前、今のソーホーの辺りは岩山に囲まれた低地だった。オランダ植民地時代(1614〜64年)、マンハッタンの南の端から少しずつ北上して来た土地開発の波は、このエリアの湿原に阻まれて思うように進まなかった。宅地どころか農地にも適さず、放牧すれば家畜が迷子になり、水辺では伝染病を媒介する蚊の群れが大発生。人々は近付きもしなかった。東インド会社から解放された黒人たちが細々と暮らすほかは、オランダ人植民者のベイヤード一家がこの周辺の土地を管理していた。珍しくこんな辺鄙な場所を気に入ったのが、フランスから迫害を逃れてやって来たユグノー教徒のアンソニー・リスピナード(1640~96年)。植民地時代に政治家として活躍してコロンビア大学の母体も作った。彼の名を冠する短い通りが、カナルストリートのすぐ南に今も残る。

 さらに足を東に伸ばしてセンターストリートを南に折れたところにあるコレクト・ポンド公園を訪ねてみるといい。今では想像も及ばないが、そもそも、この場所に天然の湧水が作る古い池があった。同公園にある当時の地勢図を見ると、池からハドソン川に伸びる小川沿いの「湿地ぶり」がよく分かる。次回は19世紀に古池が埋められたいきさつを探る。(中村英雄)

センターストリートとレナードストリートの角にあるコレクト・ポンド公園。かつてここに地下水が湧く池があった
同公園に展示されている18世紀当時の地勢図。現ソーホー周辺の本来の自然環境がよくわかる

バックナンバー

NYジャピオン 1分動画