2017/04/28発行 ジャピオン913号掲載記事

この街に住みたい

 世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。最終回の今回は、ジャクソンハイツのコミュニティーとしての変化を追ってみよう。

ジャクソンハイツ❽

 1900年代初頭、「ガーデン・アパートメント」構想下のジャクソンハイツでは、白人、しかもプロテスタントしか入居が許されなかった。それが今や市内随一の多国籍コミュニティーに。どんな経緯があったのだろうか。

3回の法改正で移民流入

 人口形成の劇的変化の背景には、1960年代以降の3回にわたる市の法改正がある。まず65年の移民法改定で、移民労働者が母国から家族を呼び寄せることができるようになった。続いて68年の「フェア・ハウジング・アクト」。住宅の賃貸や売買の際に、人種や性的嗜好(しこう)などを理由に差別をしてはならないという、住宅確保の機会均等法ともいうべきものだ。そして90年、ゲイの男性が刺殺された事件をきっかけに、市が「ゲイとレズビアンに対する反暴力プロジェクト」を立ち上げた。

 ジャクソンハイツの住民文化は、これらの法案が一つ通るごとに一気に多様化していく。2010年の国税調査では、住民の6割以上を海外からの移民が占めるまでになっている。

 法改正の恩恵を受け、70年代ジャクソンハイツに押し寄せたのがヒスパニック系移民だった。70年代半ばになると、南米、特にコロンビアの犯罪組織がこぞってここを拠点とするようになり、ジャクソンハイツは麻薬密売の街として、全米から注目されるようになってしまう。政府発行ID(パスポートなど)の偽造ビジネスもはびこった。

 ただ、それらが事実であると同時に、当時地元のメディアが過剰報道したのもまた事実。ルーズベルトアベニュー沿いにひしめくラテン系のバーを、十把一絡げに「麻薬密売の巣窟」と書き立てたりした。実際にはそれらのほとんどは麻薬とは無関係だったため、当時無実の罪を着せられた店舗は苦しんだという。

 そしてそれも90年代までの話。2017年春、地下鉄7番線のジャクソンハイツ駅で、警察犬とともに警備に当たる警察官に「それは麻薬犬か?」と尋ねると、「違う。もう麻薬なんぞここでは問題じゃないよ」との太鼓判コメントだった。

 90年代、ジャクソンハイツが安全になると同時に急増したのが、インド系移民だ。73、74ストリートは「リトル・インディア」。インドだけでなく、チベットほか南アジア諸国の文化が満開だ。74ストリートを境に、西がアジア、東がラテン。

 そのラテン区域の数ブロックを占めるガーデン・アパートメント群は、93年ニューヨーク市の歴史保護地区に、99年には国の歴史保護地区に認定されている。現在、市のそれをもっと西まで拡張する動きもあるが、ある住民曰く「そうすると自由に家の改築ができなくなるので、良し悪し」。いずれにしても、生誕百年余のジャクソンハイツが、さらなる発展の兆しを見せている。(佐々木香奈)

ジャクソンハイツにあった五つの映画館の一つ(リトル・インディアの目抜き通り37ロード沿い)。今はレストラン
地下鉄7番線のジャクソンハイツ/ルーズベルトアベニュー駅は、2005年からバスターミナルになった

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