2017/04/07発行 ジャピオン910号掲載記事

この街に住みたい

 世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今回は、ジャクソンハイツの開発の転機となった地下鉄の開通とその裏話を振り返る。

ジャクソンハイツ❺

 アストリアにあるスタインウェイストリート。ご存じの人も多いだろうが、ピアノのスタインウェイ経営者、ウィリアム・スタインウェイからの命名だ。そして彼こそが、今の地下鉄7番線の土台となるトンネル建設を指揮した人物なのだ。

 1800年代ジャクソンハイツを通る路面電車は、クイーンズ内だけのもので、マンハッタンへの交通手段ではなかった。クイーンズとマンハッタンをつなぐ最初の鉄道は、1910年開通のロングアイランド鉄道(LIRR)だ。マンハッタン西34ストリートからポートワシントンをつなぐ線だった。市の歴史としては画期的とはいえ、ジャクソンハイツを含むクイーンズ北部住民が利用するには遠過ぎた。

スタインウェイとトンネル

 さかのぼること数十年の1887年、スタインウェイがイーストリバーのトンネル工事に着手している。42ストリートとロングアイランドシティー(LIC)をつなぐトンネルは1907年に完成。しかし、実際にそのトンネルが実用化され、地下鉄が開通したのは15年だった。その恩恵がジャクソンハイツにまで伸びたのが17年。当時の地下鉄は(も?)ツギハギ路線だった。

 イーストリバーのトンネル経由で、まずはジャクソンアベニュー(今の7番線バーノン・ジャクソンアベニュー駅)まで線路が延び、続いてブリッジプラザ(今のクイーンズボロ・プラザ)まで延びたのが1916年。そこから、当時の路面電車やLIRRとの接続で、クイーンズ各地に列車サービスが開始された。

 ジャクソンハイツのルーズベルトアベニュー沿いを走る地下鉄は、当時「デュアルシステム」と呼ばれた。インターボロ・ラピッド・トランジット(IRT=マンハッタン最初の地下鉄)と、ブルックリン・ラピッド・トランジット(BRT)の2社共同運営だったからだ。
 ところで、トンネル完成から実用化まで8年かかったのにはワケがある。スタインウェイは1903年、建設途中でトンネル所有権をIRTに売却したが、完成と同時にこの二者間で権利争いが始まり、連邦最高裁までもつれ込んだ。14年ようやくIRTに軍配が上がった経緯がある。

 スタインウェイが、途中でトンネル建設を諦めなければ、地下鉄の路線が7番線ではなく、「スタインウェイ線」となっていたかもしれない。

 さて余談。当時の地元紙ジャクソンハイツ・ニュースによると、地下鉄開通後わずか2年後の1919年2月、ジャクソンハイツ住民から最初の苦情がIRTに寄せられている。「ラッシュアワーのサービスが少な過ぎる。ブリッジプラザでの乗り換えが不便」と。どうやら、当時から状況は改善されずに今に至っているようだ。(佐々木香奈)

42ストリートからイーストリバーのトンネル建設を始めたのは、ピアノのスタンウエイ経営者
ルーズベルトアベニュー沿いを走る地下鉄7番線。1917年ジャクソンハイツまでサービスが延長された

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