2017/03/17発行 ジャピオン907号掲載記事

この街に住みたい

 世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。今回は、独立戦争時のジャクソンハイツの隠れた歴史と、20世紀への入り口を振り返る。

ジャクソンハイツ❸

 20世紀に入るまでは、この辺り一帯は農場地帯。語るべき歴史もあまりないが、独立戦争時の出来事が少しだけ記録されている。

 独立戦争は、1775年から1783年まで続く、米国東部の英国領13植民地と、英国の間で繰り広げられた戦争だ。1776年9月15日、ウィリアム・ハウ将軍率いる英国軍がマンハッタンのキプスベイに侵攻し、一気にニューヨークを支配したことは、どの歴史本にも書かれている史実。ただ、英国軍が侵攻直前の2週間を過ごした場所が今のジャクソンハイツだったことは、多くの記録からもオミットされていることだろう。

 歴史書「ジャクソンハイツ〜ガーデン・イン・ザ・シティー」(ダニエル・カラザス著)によると、英国軍がこの地に陣を敷いた2週間、農場主らは広い自宅の兵士への開放を強いられた。ヒラ兵士はテントで野宿だが、ハウ将軍など軍上層部は農家に寄宿。農場主らは彼らのもてなしに奔走させられるわ、厩舎の馬を英国軍に奪われるわで、散々だったということだ。「史実」というにはあまりにもささいなことかもしれないが。

 その独立戦争が終わっても、この地は100年以上にわたり農地であり続けた。農作物を作り、マンハッタンに持って行き売りさばくという〝シンプルライフ〟の時代が続いた。

5区合併と橋の建設

 一気に都市化が進むのが20世紀初頭だ。今のジャクソンハイツの歴史は実質、そこから始まる。

 その伏線となったのが1898年の、5区合併によるニューヨーク市の誕生だ。これで、晴れてクイーンズがニューヨーク市の一部となったのだ。

 しかし、その恩恵にあずかるには、全ての中心地マンハッタンと〝陸続き〟になることが絶対条件だった。何しろ当時、トレインズメドウ(今のジャクソンハイツ)からマンハッタンに行こうと思ったら、ジャクソンアベニュー(今のノーザンブルバード)を走る路面電車か馬車で、ロングアイランドシティー(LIC)まで移動し、そこからフェリーでイーストリバーを渡るしか、すべはなかったのだ。

 ちなみにこの路面電車、1860年代に建設されたもので、フラッシングとLIC間を走っていた。LICから出るフェリーは、マンハッタンの34ストリートと92ストリートの船着場まで運航していた。

 さて、1899年のクイーンズボロブリッジ建設計画議案で、待望の〝陸続き〟も現実的なものとなってきた。翌1900年には議案が通り、1901年には早速建設が始まった。

 これに先立って、1883年にはブルックリンブリッジが開通しており、それがブルックリンの開発と人口増加に一気に拍車を掛けた。同じことが、クイーンズに起ころうとしていた。(佐々木香奈)

1860年代に建設された路面電車は、フラッシン グとLIC 間を、ジャクソンアベニュー経由で走っていた
1901年に建設が始まったクイーンズボロブリッジが、ジャクソンハイツ発展の最初のカギの一つ

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