2017/03/10発行 ジャピオン906号掲載記事

この街に住みたい

世界中から人が集まるニューヨークには長い発展の歴史と物語がある。ジャクソンハイツ2回目の今回は、1900年以前の、街ができる前を振り返る。

ジャクソンハイツ❷

 今のクイーンズ区への入植が始まったのは1600年代までさかのぼる。しかし、ジャクソンハイツという街は、1900年以前のクイーンズの地図には存在しない。都市開発とともに、街の名前がついたのが1916年だったことは前回書いた通り。

 当時のこの辺りは、山も谷もない平地に、トウモロコシ畑や養蜂場、馬屋、小麦畑が広がる農場地帯。18世紀に建てられた農場主の家屋は、1930年ごろまで残っていたという。しかし、そのころになると都市開発が急ピッチで進み、道路やアパートビル建設のため、これらの家屋は取り壊された。

富裕な入植者の社交時代

 1934年6月、開発真っただ中のジャクソンハイツで、ローカル紙「ジャクソンハイツ・ニュース」が、街の歴史を伝える記事を掲載した。それによると、入植から1900年初頭までのこのエリアには、イギリスやオランダ、ドイツから移り住んだわずか6家族が、悠々自適の生活を送っていたということだ。

 その一つが、ニューヨーク市の歴史に名前を残すバークレー一家。今のマンハッタン・ダウンタウン、シティーホール近くにあるバークレーストリートは、この一家にちなんだ命名だ。一家は1600年代後半からこのエリアに住み、厩舎(きゅうしゃ)を所有し、今のノーザンブルバード沿いの72と74ストリート周辺に大規模な競馬場を建設した。マンハッタンやブルックリン、ロングアイランドから競馬見物に人々が押し寄せた時代もあった。

 その他、ドイツから移民した数家族は、早くから農業の機械化を進め、通常農家の倍の量の食物を栽培してはマンハッタンで売りさばき、さらにはその農場を売買して富を得たといわれる。

 これら6家族は、お互い地元での社交を楽しみ、馬車やフェリーなどの交通手段でマンハッタンに出掛けたもの。トレインズ・メドウ(今のジャクソンハイツ)にある家はいわば別荘。冬のほとんどはマンハッタンで過ごし、季節が良くなると別荘に戻って来た。

 1900年以前、ジャクソンハイツができる前のこのエリアの歴史といえば、せいぜいこのくらいだ。あえて付け加えるなら、独立戦争(1775~83年)中、ロングアイランドの戦いの後、イギリス軍がマンハッタンに攻め入る前夜を過ごしたのが、今のジャクソンハイツだった。(佐々木香奈)

74ストリートの別名は、初のインド系米国人宇宙飛行士Kaplana Chawla(1962-2003年)にちなんだもの
74ストリートと34~35アベニュー周辺。1900年以前、バークレー一家所有の競馬場だった辺り

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