2017/02/17発行 ジャピオン903号掲載記事

この街に住みたい

グリーンポイント散策❼

石油産業の光と陰

 1859年のペンシルべニア油田発見を受け、アストラル石油が、文字通り「火」をつけたエネルギー革命で、造船町だったグリーンポイントは全米最大(当時)の石油精製センターに生まれ変わった。その後、ジョン・D・ロックフェラーのスタンダード石油が、アストラルはじめ競合各社を根こそぎ買収。極端な寡占化でコストを徹底的に切り詰め、灯油の価格は、ガロン当り26セント(70年)から5・91セント(97年)まで下落。庶民の味方となった石油は、アメリカの夜を画期的に「明るく」した。

 だが、光あれば陰あり。南北戦争終結(65年)の頃には、早くも街の北側を流れるニュータウンクリークが汚れ始めた。川漁師が投網を打てば真っ黒なヘドロが上がり、獲れた魚介類は石油臭くてとても食べられず、地元で人気のチャウダー屋は閉店に追い込まれた。犯人は川沿いに立ち並ぶ工場群だ。精油所、農薬工場、薬品工場、食肉処理施設などから毎日大量の廃油や汚水が無制限に川へと流れ込む。「公害」の考え方が未熟だった19世紀末。人々は科学の進歩を疑わず、街の発展を手放しで喜び、野球や軽演劇にうつつを抜かしていた。

度重なる製油所の爆発

 84年12月21日。アストラル製油所の貯蔵タンクが次々に爆発する。幸い日曜日で人的被害は出なかったが、一晩中、何度も火柱が上がり、被害総額は200万ドル(当時)に及んだという。その後、製油所の火災は後を絶たず、1919年9月21日には、スタンダード石油のタンク群が大爆発。3日3晩燃え続け、被害総額500万ドル。300人の消防士が消火作業中にやけどを負った。

 環境汚染は戦後も歯止めがきかず、川は悪臭を放ち、鉄道がこの付近を通過する時、乗客は一斉に車窓を閉めた。120年にわたる廃油の垂れ流しは、住宅地の地下にも及ぶ。推定総量3000万ガロン超。89年にアラスカで起きたタンカーの原油漏れ総量の実に3倍で、事態の深刻さは計り知れない。地中の石油は気化し空気中の含有も検知されている。人体への影響は明らかで、ガンの発生率が他地域より高いという調査報告もあったが、市民の避難勧告は出されなかった。

 しかしながら、1950年10月5日にマンハッタンアベニューとヒューロンストリートの角の地下から大音響とともに爆風が吹き上がった時にはさしもの住民も腰を抜かした。複数のマンホールのふたが辺り一面に飛び交い、歩道や建物を直撃したという。90年代に入って住民は大手石油企業を訴訟。ある程度の補償を勝ち取ったが、現在、漏れた石油の除去は3分の1しか進んでおらず、爆発は明日また起きないとも限らない。(中村英雄)

ニュータウン・クリーク沿いでは今でも石油精製施設が稼働中。辺りは鼻を突くような異臭が漂う
スタンダード石油系列エクソン・モービル貯蔵所のゲート前。大型タンク車がひっきりなしに行き交う
1950年の爆発でマンホールのふたが宙を舞った現場。廃油が気化し下水道に充満し、引火したと思われる

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