2017/02/03発行 ジャピオン901号掲載記事

この街に住みたい

グリーンポイント散策❺

ABCが彩る街

 グリーンポイントに曲がった道は少なく、マンハッタン同様、東西南北の街路が整然と碁盤の目を成している。これは1838年に、初めてこの地域の宅地造成に乗り出したネザイア・ブリスの計画に負うところが大きい。当初、東西の脇道は、Aストリート、Bストリート、Cストリート…とおざなりに呼ばれていたが、街の発展に従って、「もう少し味のある町名に」との要望が高まり、北から、白樺の木が多かったので「Ash」、運送用の箱がいつも転がっていたので「Box」、地元出身の有名海賊の名前から「Clay」、海軍の名将にちなんで「Dupont」と改正。よく見ると頭文字がABC…の順だ。

 住民は、造船所や製油所で働くドイツやアイルランドからの移民が中心。ブリスの時代からわずか30年で地域人口が1500人から3万人に急増した。まさに高度経済成長期だ。人が増えれば心が触れ合い摩擦も生じる。1856年には、カトリックの聖アントニウス教会、92年には、聖ジョン福音ルター教会が建立。休みともなると人々は礼拝かビールであり余る憂さを振り払い、血気あふれる連中は路上の「草拳闘」で名を上げた。

知られざる野球史

 そんな中、健全なスポーツとして台頭したのが「野球」である。45年にマンハッタンでルールが確立した野球は、消防士や造船工といった肉体労働者の間で人気を博す。50年代になると、造船業が盛んなグリーンポイントでも頻繁に行われるようになった。特に、大手造船会社の工員チーム「エクフォード」は、豪腕投手をそろえた強豪で、南ブルックリンのライバル「アトランティック」との対戦には大観衆が詰め掛けた。

 初期の全米アマチュアリーグ16チームのうち10チームがブルックリンというから驚きだ。ブルックリン発の野球ブームは南北戦争(61〜65年)と工業化の影響で全国に拡散。終戦後にはリーグ所属チーム数が400を超えた。「エクフォード」は62〜63年に野球史上不滅の22連勝を成し遂げ2年連続リーグ優勝。地元の英雄となる。

 一方、同じ62年にウィリアムズバーグに米国初のフェンス付き専用球場「ユニオングラウンド」が完成すると、観戦料が発生。野球の商業化が始まる。選手にも報酬が入ったため、会社を辞めて野球一本でいきたい工員が続出。野球賭博が横行し、八百長試合まで発生した。モラルの崩壊を恐れ、69年にはプロ連盟結成。給与規定も決められた。

 社会人野球のアマチュア精神を旗印にしていた「エクフォード」は、時流に押されて72年、プロリーグ参加。しかし、すでに主力選手を移籍金で地方チームに取られており、戦績は上がらず同季を最後に解散してしまった。(中村英雄)

グリーンポイントのストリート名。頭文字がアルファベット順になっている
球団名「エクフォード」は地元の大手造船所の社長名に由来。今は通りの名前として残っている
聖アントニウス教会(1856年開山。カトリック)現在の教会堂は1875年の建築

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