2017/01/27発行 ジャピオン900号掲載記事

この街に住みたい

グリーンポイント散策❹

捕鯨業と奇跡の光明

 「明かり」に関して言えば、アメリカでは19世半ばまでの基幹エネルギー源は「鯨油」だった。産業革命の影響で工場やオフィスでの夜間作業が大幅に増えると、鯨油の需要はさらに増加。大西洋のクジラは獲り尽くし、漁場はもっぱら太平洋へ。捕鯨船団は、日本の沿岸まで押し寄せた。

 最盛期には年間の漁獲量が5000頭!捕鯨反対が国是の現アメリカとは真逆の世界だ。蒸気船の発明により捕鯨船が近代化すると、水や燃料の補給基地が必要となる。1853年にペリー提督率いる米国艦隊がそれを理由に徳川幕府に開国を迫ったのは、誰もが知っている日本史の一場面である。

 ところが、その6年後の59年にペンシルベニアのタイタスビルで米国初の石油が発掘されるや、歴史の流れが大きく変わった。資源減少とコスト高にあえいでいた鯨油は、瞬時に石油に取って代わられる。油井掘り人で狂乱状態のペンシルベニアからいち早く原油をニューヨークに運搬し、最新技術(当時)でもって灯油の大量生産に成功したのが、チャールズ・プラット(1830〜91)である。 

 鯨油会社勤務から迷わず転身したプラットは、ヘンリー・H・ロジャーズをパートナーに得て、67年にグリーンポイントのイーストリバー沿いに精油所を設立。アストラル・オイルと命名した。その灯油を使った発光効率抜群の新型ランプ「アストラルランプ」は爆発的人気を呼び、造船業が斜陽のグリーンポイントに新たな光明をもたらした。

迫り来る巨大石油産業

 プラットたちの快挙を虎視眈々(たんたん)と狙っていたのがオハイオ州の油田で大成功したジョン・D・ロックフェラーのスタンダード・オイル社だ。ロックフェラーは、徹底したコスト計算で原油の価格競争に勝ち抜き、競合他社を次々統合。ペンシルベニアにも食指を伸ばし、鉄道会社と結託した輸送費の低減によってアストラルを窮地に追い込んだ。当初は、他の中小精油会社と連帯して反ロックフェラー戦線を張ったアストラルだが、交渉の結果、スタンダードが吸収合併。ただし、共同経営者ロジャーズの粘りが効いて、プラットは売却の代償として巨額のスタンダード株を取得。一方のロジャーズはその経営手腕をロックフェラーに買われ、スタンダード・グループの最重要取締役の一人に抜擢された。

 ともに巨万の富を築いた二人だが、プラットは晩年、地元ブルックリンに美術専門大学を創立。また、グリーンポイントのフランクリンストリートにアストラル社員のための豪勢な社宅を作った。ロジャーズも後年バージニア州の黒人教育に匿名で大寄付をした。19世紀の大金持ちは、昨今の不動産王とは意識が違ったようだ。(中村英雄)

アストラルオイルの全景。1872年の「サイエンティフィックアメリカン」誌より(提供: noveltytheatre.com)
プラットがフランクリンストリートに建てたアストラルオイル(スタンダード・オイル傘下)の社宅(1886年建築)
メトロポリタン美術館が収蔵するアストラルランプ(19世紀半ば製造)。均等に広がる安定した炎が評判に(撮影協力: The MET)

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