2017/01/01発行 ジャピオン897号掲載記事

この街に住みたい

グリーンポイント散策❶

 地下鉄Gラインの便も改善されて、グリーンポイントは今やミレニアル世代に人気のエリア。ワンベッドルームが2000ドルを超える21世紀の「高級住宅街」となってしまったが、かつてはその名の通り緑に覆われたのどかな田園地帯だった。イーストリバーとその支流ニュータウンクリーク、そしてブルックリン=クイーンズ高速道に囲まれた約7平方キロの「三角形」がグリーンポイントである。

 地域を特徴付けているのは、エリアの北。クイーンズ区との境界を成すニュータウンクリークだ。イーストリバーから分岐する天然の支流で、全長約5キロ。ヨーロッパ人の開拓前には浅くて細い支流が内陸奥深く縦横無尽に走っていた。流域にはマツやカシの森が広がり、魚や貝やエビ、カニそして水鳥の宝庫だったそうだ。レナぺ族系のケスカチョーゲ族がそこで素朴な農業と狩猟採集を生業に暮らしていた。

初期入植者たち

 その先住民から東インド会社が土地を買い上げたのが1638年のこと。45年にノルウェー出身のダーク・フォルカーツェンが最初の入植者として家を建て、農場開拓に乗り出した。ダーク・デ・ノーマン(ノーマンとはオランダ語で北欧人のこと)の異名をとった彼は、振る舞いが横暴だったのか、先住民との争いが絶えず、義理の息子たちをケスカチョーゲに惨殺されている。結局、ダークは土地をオランダ系開拓民に売却(「ノーマン」の名前は今も通りの名称として残っている)。その後、ピーター・プラーというユグノー教徒(キリスト教の一派)が、自警団の長となりこの土地を仕切る。プラーの一族は、独立戦争(1776~83年)を挟んで19世紀初頭まで農業を営んでいた。小舟でイーストリバーを渡って農作物をマンハッタンの市場に出荷する安定した生活が100年以上続いた。川辺には、まだ緑があふれ、人々はここをグリーンポイントと呼んでいた。

「緑」のない街

 ところが、今のグリーンポイントに当時の面影は全くない。クリークに架かるプラスキー橋の上から見るとよく分かる。小川の両岸は痛いほど工業化されていて、異臭が漂うものの、自然の恵みなどかけらもない。

 2007年、市の肝入りでクリークの岸辺にできたネイチャーウオークを訪ねてみた。彫刻家ジョージ・トラカスの設計による遊歩道はアートとしては刺激的だが、申し訳程度に在来種の草木を植えているだけで、お世辞にもネイチャーとは言い難い。ただ、クリーク越しにそそり立つ宇宙船群のような浄化装置の異形はこのエリアが経てきた数奇な運命を物語って余りある。次回は、19世紀の工業化で一変した街の歴史をさかのぼる。(中村英雄)

プラスキー橋上の歩行者専用道からニュータウンクリークを臨む。左岸がグリーンポイント。右岸はクイーンズ区
ネイチャーウオークに自然はない。川越しの風景はとことん工業的。市内最大の環境汚染地帯といわれている

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