2017/01/13発行 ジャピオン898号掲載記事

この街に住みたい

グリーンポイント散策❷

 19世紀の初頭、ヨーロッパからの移民が急増し、爆発的に都市化するマンハッタンを尻目に、対岸のグリーンポイントは、相変わらずのどかな田園地帯を気取っていた。

グリーンの父ブリス

 ところが20年代以降、そこに変化を持ち込んだのがネザイア・ブリス(1790〜1876)だ。本業は、造船技師。蒸気船フェリーの第一人者ロバート・フルトン(ストリート名や地下鉄駅名でおなじみ)に一番弟子としてかわいがられたブリスは、フィラデルフィアやシンシナティで成功後、27年にマンハッタンに進出してノベルティ鉄工所を創設。蒸気船の部材供給で財を成した。

 34年、グリーンポイントの旧家メセロール家に婿入りし30エーカーの土地を手に入れたブリスは、同エリア南部を徹底測量。不動産開発の準備に乗り出した。

 まず着手したのが、幹線道路の整備。ウィリアムスバーグからグリーンポイントを縦貫して、ニュータウンクリークを越え、アストリアまで続く有料の「馬車専用道」を38年に開通させた。おかげで、グリーンポイントへのアクセスは格段に便利になり、一気に宅地開発に拍車が掛かる。

 堅実に陸上の交通アクセスを確立したブリスが、次に情熱を傾けたのは、マンハッタン往復定期フェリー航路だ。師匠のフルトンは、ブルックリンの不動産王へゼキア・ピアポントと組んで、14年にブルックリンハイツ〜ローワーマンハッタン間にフェリー航路を開いている。フルトン直伝の情熱と交渉術で市役所と掛け合ったブリスは、48年に営業権を獲得。50年には、グリーンポイントとマンハッタンの東10ストリート埠頭の間に蒸気船が行き来するようになった。

造船の街として栄える

 ブリスの目論み通り、水陸両サイドからのインフラ建設は功を奏し、未曾有の「人・モノ・金」がグリーンポイントに流れ込み始めた。ブリスは、ここぞとばかり、専門の造船業で腕を振るう。競合各社も続々と川沿いに造船所を建て、グリーンポイントは造船業では有数の工場街に急成長する。

 48年にはエリア初の小学校が開校。50年には有料道路沿いに最初の「食料生活用品店」が開店。54年には最初のガス灯が灯った。

 「最初の」と言えば、62年にはグリーンポイントの造船所から、米国で最初の全鋼鉄製装甲艦「USSモニター」が進水した。円筒形の砲台を備えた987トンの最新鋭艦は当時まだ珍しかったスクリュー推進。発注元は南北戦争時の合衆国軍(北軍)で、発注書に署名したのはリンカーン大統領だ。ハンプトン・ローズ海戦で、南軍の最強戦艦バージニアと激しく砲撃戦を交わすなど大活躍。製造元「コンチネンタル鉄工所」の名は全米に知られるようになる。(中村英雄)

1839年に実業家ネザイア・ブリスが作ったエリア初の「有料道路」は、今もフランクリンストリートとして健在
ケント・ストリートの130番地にある旧ブリス邸。ブラウンストーン建築が並ぶ周囲の住宅地もブリスが計画した
米史上初の鋼鉄装甲艦「USSモニター」)(左)。と敵艦メリマックの一騎打ち(1862年。南北戦争時)

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