2016/12/02発行 ジャピオン893号掲載記事

この街に住みたい

ルーズベルト島❺

 19世紀も末になると、島の刑務所や精神科病院といった、患者や囚人が虐待された特殊施設は次々と閉鎖、または市内の他島に移転された。天然痘患者の隔離医療施設も、ワクチンの開発とともに1875年に閉鎖され、その後は看護師の教育施設として利用されていた。

 続く100年は島の変動期だ。一気に島のありさまが変わったわけではないが、20世紀初頭には徐々に交通機関が整備され始め、再開発への準備が始まろうとしていた。

相次ぐ橋の開通

 まず、クイーンズボロ・ブリッジの建設が始まったのが1900年だ。9年後に開通した時点では、まだ橋からブラックェル島(当時)へのアクセスはなかったが、それでもこの橋の開通が、その後の島の変動の発端となったことは確かだ。

 1930年になると、島からクイーンズボロ・ブリッジへの車両用エレベーターが完成。これでやっと、島と〝本土〟が陸続きになった。それまで島内の病院や隔離施設への患者の搬送は、イーストリバーの渡り船に頼っていただけに、これは島の最初の交通革命といえる。

 そして、第二の交通革命が1955年。クイーンズからウェルフェア島(当時)に架かる橋、ウェルフェア島ブリッジが開通したことだ。これでクイーンズボロ・ブリッジへのエレベーターはお役御免となり閉鎖され、70年に取り壊された。

 前後するが、21年チャリティーホスピタルがシティーホスピタルになった年に、島の名前はウェルフェア島と改名されている。まだまだ19世紀を引きずっていたことは、島の名前からもうかがえ、その後も新しい病院の建設は20世紀前半を通して続く。何よりも35年にこの島の全刑務所がライカーズ島に移転さたことは画期的だった。

近代化への20世紀後半

 20世紀後半に入ると、さらに激動の時代へ。1968年、ジョン・リンゼイ市長が、ウェルフェア島の今後の開発に関する委員会とその役員を指名。ニューヨーク州政府の機関、都市開発コープ(UDC)が99年間の島のリース契約に署名したのがその1年後だ。これで、島の開発はUDCに委ねられることになった。

 UDCは早速建築家のフィリップ・ジョンソンとジョン・バージーに委託し、島に2万人用のアパートビル群の建設計画を練らせた。この建設計画は、メトロポリタン美術館で展示され、島の再開発は一気に注目を浴びていくことになる。

 そしていよいよ島の名前が今のルーズベルト島になったのが73年だ。ニューヨーク州のネルソン・ロックフェラー知事とリンゼイ市長が、フランクリン・ルーズベルト大統領を記念して命名。トラムや地下鉄の開通へと時代は動いていく。(佐々木香奈)

1900年建設開始、1909年開通のクイーンズボロ・ブリッジ。開通当初は島への直接アクセスはなかった
天然痘ワクチンの開発とともに、1875年に閉鎖された隔離病棟。1976年にランドマーク指定に

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