2016/11/25発行 ジャピオン892号掲載記事

この街に住みたい

ルーズベルト島❹

 島の北部に立つ高級レンタル住居ビル「オクタゴン」(2007年完成)が、かつての市営精神科病院「NY Lunatic Asylum」(1841年築)で、その美麗な外観に反して管理・運営が劣悪極まりないものだったことは、前回簡単に触れた。

 ルーズベルト島歴史協会/ジュディス・バーディー共著「Images of America:Roosevelt Isld」の記述によると、「定員の2倍の患者を詰め込み、彼らをケアする看護師は島内の刑務所の囚人だった」というから驚きだ。

刑務所、隔離病棟が林立

 さて、この精神科病院の建設に前後して、ブラックウェル島(現ルーズベルト島)にはいくつもの病院や刑務所が建設される。1849年には、性病専門のペニテンシャリー・ホスピタルが、その8年後にはチャリティーホスピタル(後のシティーホスピタル)が完成。

 1856年から67年にかけては、天然痘やてんかんなど、当時不治の病とされた感染病や、難病を患う患者の隔離病院が続々と建設された。1872年の段階で、島には刑務所が二つ、その関連施設が数カ所、特殊医療施設が11あり、実質この島は犯罪者と難病患者の隔離島となっていた。病院の入院患者は全員「囚人」と呼ばれていたという。

 精神科病院を筆頭に、いずれの施設も患者への虐待は目に余るものがあった。1878年、市の調査官が実態を暴露し、医師らが改善を訴えるも何も変わらず。それを打開したのが、実は一人の女性記者だった。

ネリー・ブライ潜入取材

 ペンネームをネリー・ブライ、本名をエリザベス・コックレーン。1887年、弱冠23歳のネリーを、当時のローカル紙NYワールドが採用。潜入取材を命じたのが、悪名高きブラックウェル島の精神科病院だった。

 著書「The Other Islands of NYC」(シャロン・セイツ&スチュアート・ミラー著)によると、ネリーは精神障害者を見事に演じ、無事(?)逮捕され、裁判にこぎつける。地元他紙がこぞって「乱心の美女は何者?」と報じるほど、ネリーの逮捕は違和感満点だった。が、ワールド紙はだんまりを決め込んだ。

 ブラックウェル島の精神病院でネリーを待ち受けていたのは、まさに映画の拷問シーンだったと言っていい。ワールド紙の弁護士が出所手続きをするまで、ネリーはここに10日間収容された。すぐさまそのおぞましい体験をシリーズで執筆すると、ワールド紙がフロントページですっぱ抜いた。その一連の記事は全米で注目され、1890年市の再調査を促すきっかけとなる。結果、4年後にこの施設は閉鎖され、市内のワーズ島に移される。その後は、肺結核の隔離病棟として利用された。現在ハーレムにある、メトロポリタン病院の前身だ。(佐々木香奈)

全米初の天然痘の隔離病棟(1856年築)。島南部に、今もかろうじて保存されている
かつての精神科病院中央塔の螺旋階段は、今も「オクタゴン」のロビーを飾る

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