2016/11/11発行 ジャピオン890号掲載記事

この街に住みたい

ルーズベルト島❷

 17世紀後半、オランダから英国に米国の植民権が移った際、英国軍ニューヨーク指揮官だったジョン・マニング大佐に、(当時の)ホグアイランド(現ルーズベルト島)が英国国王から譲渡された。以来1796年に島名がブラックウェル島になり、1828年に市が買い取るまで、マニング大佐の子孫が島を所有してきた。

 そのブラックウェル島時代の遺産が、今の地下鉄F線ルーズベルト島駅から少し北、メーンストリート沿いにある一軒家「ブラックウェル・ハウス」だ。島がブラックウェル島に改名された1796年築。島内六つの史跡指定建造物の一つで、ニューヨーク市内で6番目に古い家屋だ。質素なコロニアルスタイルの木造家屋には、マニング家と島の、実はあまり誇れない過去が埋もれている。輝かしい歴史を誇る史跡が多い中、その逆を行くあたりが、ルーズベルト島らしくて親しみが持てるというものだ。

直前で処刑免れた大佐

 著書「The Other Islands of NYC」(シャロン・セイツ&スチュアート・ミラー著)は、マニング家と島の歴史を次のように記録する。

 英国国王から褒美としてもらったはずの島だったが、マニング大佐はすぐにその名誉に泥を塗ることになる。1673年、英国とオランダは再び領地を巡って戦争中。このときマンハッタンの南端フォート・ジョージを指揮していた大佐は、スタテン島から攻めてくるオランダ軍にさっさと降伏してしまったのだ。

 2年後に英国軍が勝利すると、大佐は降伏した罪で裁判にかけられる。極刑判決が下り、半裸で両手首に鎖をかけられ公衆銃刑というその直前、刑を免れたという。投獄されることもなく、その後は(当時の)ホグアイランドの自宅で隠居生活を送った。島を取り上げられなかったのが不思議だが、当時それほどの価値もなかったということだろう。

 大佐の死後、島の所有権を引き継いだのが義理の娘で、その婿の名がブラックウェル。その息子で、大佐の孫ジェイコブ(血縁はない)がブラックウェル・ハウスを建て、島名にも自分の名を冠したわけだが、同時にその頃から島を売りたくて必死だったというのが実情だ。

 ブラックウェル・ハウス自体も一度売ったにもかかわらず、買い手が住宅ローンを払えず、2年後には結局ブラックウェル家に所有権が戻ってしまう。島といい、家といい、持ち主に疎まれた、悲しい過去がある。

 そうこうするうちに19世紀に入ると、ニューヨーク市の人口が膨れ、犯罪が増え、伝染病もまん延という時代に入る。市が刑務所建設のために目を付けたのがイーストリバーの島々で、この島はその第1号だった。ブラックウェル家は、やっと島を市に売ることができたわけだ。(佐々木香奈)

ブラックウェル・ハウスは「503 Main St., New York, NY 10044」。地下鉄駅の北、メーンストリート東側
1796年築のブラックウェル・ハウスの前庭に立つ看板。「1972年から歴史的建造物」と明記されている

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