2016/10/28発行 ジャピオン888号掲載記事

この街に住みたい

セントラルパーク銀輪散策⑧

紅葉のイーストドライブ

 あっという間に連載は8回目。チャリなら広い公園でもくまなく回れると思いきや、セントラルパークの景観と歴史の奥深さに「車輪」を取られ、まだグレートローン辺りでウロウロしている。「機会を改め続編を必ず」とお約束して、イーストドライブを北へ急ぐ。

 道は平坦なのでギアはトップに。右手には故ジャッキー・オナシス・ケネディも住人だったアッパーイーストサイドの高級アパート群が流れる。左手にはそのジャッキーが毎朝ジョギングで回っていた池が見えた。

 やがて道は大きく蛇行しながら緩やかに下る。重力に身を任せ、ブレーキは開放して、速度の頂点までマシンに自由を与える。すっかり色付いた樫や楓や楡の葉は、散る直前の一瞬の煌きを放っている。紅葉の切れ間から水のない市営プールが見えた。遠い夏の日の喧騒が耳をかすめた。

 坂を下り切った所にあるのがウォリアーズゲート(勇者の門)。パークの最北端。ここが折り返し点。チャリを借りたミッドタウンのレンタルバイク店を目指して、今度はウェストドライブを南下する。ところが、行きはヨイヨイ何とやらで、この「復路」がえらく急峻なのだ。迫り来る氷河期の巨岩の威圧に泣きそうになりながらペダルを踏む。

NYCマラソンの勇者

 同じ苦難を46年前の同じこの季節に味わっていた人たちがいた。第1回ニューヨークシティー(NYC)マラソンの参加選手たちだ。ランナー有志で始まった同大会は、当初、公園内のみを使っていた。つまり園チャリコースをぐるぐると走っていたのだ。これが今の市街地コースよりはるかにきつく、127人の参加者のうち完走はわずか55人。女子は全員、気分が悪くなって落伍したという。

 1976年、市内5区を回る現在のコースとなったが、同大会の女子の部優勝者が、日本人のゴーマン美智子さんだ。身長152センチ、体重40キロ。この時、41歳なるも2時間39秒11の自己ベストでゴール。翌77年にはボストンとニューヨークの2大会連覇を果たしている。

 女性ランナーによる未曾有の快挙に世界が目を見張った。おかげで女子マラソン競技が認知を得て、79年には史上初の東京国際女子マラソンが開催。84年のロス五輪では正式種目となった。その後の女子マラソンの隆盛、中でも日本人選手の活躍ぶりに説明は不要だが、全てが76年に美智子さんがテープを切ったあのNYCマラソンから始まったのだ。

 セントラルパークは今でもNYCマラソンの最終地点。今年も盛大な応援に迎えられて完走する選手たちに歓声と涙があふれる。昨年秋、80歳で他界された美智子さんも、天国から恒例の興奮を眺め、目を細めているだろう。 (中村英雄)

ウェストドライブに入ると突然上り坂がきつくなる。初回のNYCマラソンの出場選手たちが泣いた胸付き八寸
苦しくても決してチャリを降りるべからず。セントラルパークには人生同様、上り坂と同じ数の下り坂がある
早くも観覧席の設営が始まったマラソンのゴール地点。5万人超のランナーたちがここを目指す

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