2016/09/23発行 ジャピオン883号掲載記事

この街に住みたい

セントラルパーク銀輪散策④

おびただしい量の爆破

 1857年。日本史でいうと安政4年。ニューヨーク出身のタウンゼンド・ハリス総領事が江戸城で将軍徳川家定に謁見している頃、いよいよセントラルパークの造成が始まる。

 岩山がごつごつ飛び出す荒地をならすのには戦争用の黒色火薬が使われた。その量たるや、後年の南北戦争「ゲティスバーグの戦い」(1863年)で使われた全火薬の量を上回るというのだから、超ど級の自然破壊である。さしずめ公園工事中のマンハッタンはおびただしい騒音に包まれたことだろう。 

 現場で汗水たらしたのは、ニューイングランド地方から招集した石切り職人や庭師たち。そしてドイツやアイルランド出身の移民労働者たちだ。土壌を改良するために彼らの手で運び入れた表土の総量は1万4000立方メートル超。植えた樹木は27万本以上分。なのに工賃は日当1ドルそこそこ。作業時間は1日10時間を越えたという。

 異例の突貫工事の末、米国初の都市型公園は、2年弱の驚異的な工期で1858年の真冬に開園した。春まで待てないほど市民の期待が大きかったのだろう。入園料はもちろん無料。ベセスダ噴水前の池「ザ・レイク」が市内で初のスケートリンクとなり大変な人気を博した、と記録にある。

 しかし、開園するもまだ建設途上で、工事が完遂したのは1873年のことだ。その間にエリアも北に4ブロック伸びて現在の大きさになった。最終的に搬出した土砂の総計が荷車1000万台分。移植された樹木は1500種以上、400万本にも上ったそうだ。

橋のある公園

 セントラルパークの特徴は高低差を利用した各種道路の立体交差だが、計36本ある橋は、ほとんどが開園後の数年間で架けられている。

 2人組の公園設計者のうち、橋のデザインは主に英国出身の先輩造園家カルヴァート・ヴォーが手掛けた。レリーフなど細かい意匠は、同じく英国人の建築家ジェイコブ・レイ・モウルドが担当した。そのためか、そこはかとなくイギリス趣味が漂う。

 この2人の共作で一番有名な橋が、ザ・レイクに架かる全長28メートルの「ボウ・ブリッジ」だ。アメリカで二番目に古い鋳物製の橋(1862年開通)で、「追憶」「マンハッタン」など数多くの映画に登場した。ゆるやかな弧を描く美しい形状を弓になぞらえて「ボウ」と呼ばれる。

 園チャリ中も所々で自転車を降りて側道を押し歩いてみると、実にさまざまなスタイルと材質の橋に出合う。地図を頼りにスタンプラリー気分で36の橋を全制覇してみるのも面白いかもしれない。(中村英雄)

ヴォーとモウルドの共作になる「ベセスダテラス」から、おなじく2人がデザインした噴水越しに「ザ・レイク」を臨む
何度も映画の舞台になっているボウ・ブリッジ。数回の補修を経て現在の姿となった。デートの定番スポット
インスコープ・ブリッジ(1873年開通)もヴォーの設計。ドラマ「パーソン・オブ・インタレスト」に登場した

バックナンバー

NYジャピオン 1分動画