2016/08/26発行 ジャピオン879号掲載記事

この街に住みたい

キューガーデンズ❻

 キューガーデンズの第一次開発ラッシュは、ロングアイランド鉄道(LIRR)の駅が現在の場所に移動した1910年から20年代にかけて。第二次は30年代に地下鉄が開通してからだ。

地下鉄と区画表記の変更

 クイーンズブルバード沿いの地下鉄(インディペンデント・サブウェー・システム)の建設は、1930年代の市の一大事業だった。現在の場所に「ユニオンターンパイク・キューガーデンズ駅」が完成したのが1936年12月。当時すでに、この街最古のアパートビル「KewBolmer」(1915年築)は駅から1ブロックの場所に立っていた。工事による騒音被害は想像に難くない。とはいえ、24時間マンハッタン、ブルックリン、ブロンクスに5セントの運賃で行けるようになったことは、キューガーデンズにさらなる開発ラッシュをもたらした。

 ストリートの名前が番号制になったのもこのころだ。市がクイーンズ区全域に対し、区画の番号表記を強要したため。例えば、「82アベニュー」があるかと思えば、すぐ次の通りが「82ロード」といったように紛らわしいのも、このころの区画表記変更の結果だ。

 キューガーデンズにも、かつては「Ibis」「Juno」「Kingsley」「Newbold」「Pembroke」「Quentin」といったストリート名があったが、ほとんどは番号にすげ替えられた。当時のまま 残るのは、「Lefferts」「Mowbray」「Onslow」くらいか。つくづく惜しまれる。

移民が基盤を作る街

 キューガーデンズはその100年強の歴史を通して、世界各地からの移民がまず基盤を作る街として機能してきた。1979年のイラン革命後には、ユダヤ系イラン人が大挙して移住。90年にはソビエト連邦崩壊を前後して、ロシア、ウズベク、タジクといった旧ソ構成共和国からユダヤ系移民が押し寄せている。その他、パキスタンやアフガニスタン、インドからの移民も多い。

 アイルランド人やドイツ人らが主にマンハッタンを目指して移民したのに対し、キューガーデンズには東欧や中東からの移民が多かったということになる。2008年の国勢調査では、近年は中南米からのヒスパニック系移民と、日本を含むアジア系移民が増えていることが注目された。

 クイーンズの他地区がマンハッタン並みの発展を見せる昨今、キューガーデンズは何となく取り残された感もある。が、逆に言えば「最後の楽園」だ。全国チェーンの店舗もない。街の中心レファーツブルバードには、昔ながらの個人経営の店が古色蒼然と並ぶ。1914年創設のキューガーデンズ市民協会(Kew GardensCivic Asso.)は、現在に至るまでも過剰開発を極端に嫌い、昔ながらの街を守ろうとしている。(佐々木香奈)

Ⓐ地下鉄キューガーデンズ駅、Ⓑレファーツブルバード、ⒸLIRRの駅、Ⓓクイーンズブルバード
LeffertsBlvd.とKewGardensRd.のストリートサイン。ここからキューガーデンズの中心街が始まる
街の中心街・レファーツブルバード。昔ながらの個人経営の店や小規模店舗が並ぶ

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