2016/06/24発行 ジャピオン870号掲載記事

この街に住みたい

インウッド散策❻

 本シリーズは、「マンハッタン島の最北端は? インウッドである」の問答で始まったが、「マンハッタン」(島ではなく区)の最北端となると、答えはインウッドではなくマーブルヒルである。「え? 島の最北端の先にさらに最北端があるの? 何それ?」と読者は困惑するだろうが、そのいきさつをご説明しよう。

 19世紀に入り工業化、建築ブームが進むと、ハドソン川流域では建材の採掘が盛んに行われた。中でもインウッドの北の端(当時)には良質な大理石「インウッドマーブル」の採石場があって近隣はマーブルヒルと呼ばれた。聖パトリック大聖堂やブルックリンのボロホールなど19世紀の大建築にはこの大理石を使ったものが少なくない。

苦難の末、運河開通

 当時、ハーレム川はマーブルヒルを囲むように馬てい形に蛇行し、さらにくねりながらハドソン川へつながっていたため、この水路を大型船が航行するのは不可能だった。前回も書いたようにハドソン川は当時、米国の工業化の大動脈である。海運会社は世界中からニューヨーク港に入る貨物船をいち早くハドソンに通す方策を思案していた。

 そこで持ち上がったのが、ハーレム川船舶運河建設案。ハーレム川とハドソン川を船が通れる新設の水路で直結する大事業である。計画は1829年に始まるが実際に工事に入ったのは88年。総工費は270万ドル。両方の川を仮設ダムでせき止め、大理石の岩盤を無数のダイナマイトで破砕した。作業員の多くはイタリア移民。馬と粗末な蒸気工作機械に頼る厳しい肉体労働だった。数度のダム事故を経て95年6月17日にようやく幅100メートル深さ28メートルの運河が完成した。開通式には米国海軍の巡洋艦シンシナティも駆け付け、祝砲を放ったという。

切り離されたマンハッタン

 そして、この運河の開通と同時にマーブルヒルは、住民もろともインウッド(=マンハッタン島)から切断されたのだ。一時は、「島」状態となったが、1914年に馬てい形のハーレム川旧本線が埋め立てられ、マーブルヒルは米大陸の一部となる。つまりブロンクスと地続きになったのだ。しかも39年には行政区までブロンクスに併合されそうになる。当時のブロンクス区長はナチスドイツのチェコスロバキア併合になぞらえて「マーブルヒル併合」をうたい上げたものだから、住民は必死に抵抗。その結果、マーブルヒル地区だけは「マンハッタン島にあらずともマンハッタン区である」と苦し紛れのお布令が出て、現在に至るのである。

 河川交通が下火になった現代では、経済発展の犠牲者にも見えるマーブルヒル。今はどうなっているのか?次週は実際に歩いてみる。(中村英雄)

左は1865年、右は1900年の古地図。運河が形成された様子がよく分かるが旧河川が残っている
現在のマーブルヒル。ハーレムリバーが蛇行していた河川跡に沿って円形の住宅地が形成されている
1895年開通の「ハーレム川船舶運河」。右にマーブルヒル、左にインウッドを臨む。かつては地続きだった

バックナンバー

NYジャピオン 1分動画