2016/06/17発行 ジャピオン869号掲載記事

この街に住みたい

インウッド散策❺

 1783年に独立戦争が終結すると、米国は急速な国造りに取り掛かる。1811年、マンハッタン島では道路を碁盤目状にする区画整理が始まり、近代的な都市化に突入した。25年には、エリー運河の開通によって中西部が世界と直結。ハドソン川が、物流の大動脈となった。運輸、鉱工業、土木、不動産開発などインフラ整備に関わる業種は次々と好景気に沸き、中には破格の富を築く資産家も登場した。

 そんな彼らにとってマンハッタンなのに喧噪(けんそう)と無縁のインウッドは、格好の奥座敷。ハドソン川を臨む丘の上に、「城」のような別荘を建て、封建時代よろしくその贅(ぜい)を競い合った。

インウッド戦国時代

 現在のブロードウェーと216ストリートが交わる辺りの山の上、25エーカーの広大な敷地にあった総大理石造りの豪邸が通称「シーマン城」(1855年建築)。シーマン家は英国出身の由緒ある家柄で、この城の「城主」ジョン・シーマンの父ヴァレンティンは、天然痘予防接種を米国に導入して「神」とあがめられた偉人だ。ブロードウェー沿いにはパリの凱旋(がいせん)門を模した大理石の城門を据えた。しかし、19世紀後半には、人手に渡り乗馬クラブに改装。1941年にはそれも取り壊され、跡地に戸数700の集合住宅が建てられた。

 ハドソン川岸に近い山の頂上には、「リビー城」があった。同じく55年ごろの建築。最初の城主は、輸入業で大成功したオーガスト・C・リチャーズ。当時人気の建築家アレクサンダー・J・デイビスが設計を担当。ヨーロッパを意識したネオゴシック様式の重厚な建築だった。その後、南北戦争の将軍、政治家、そしてデパート王のリビーへと主は代わる。

 そのリビー城の向こうを張って、やや南の川沿いで威容を誇ったのが「パテルノ城」(1905年建築)。城主はイタリア移民の不動産王。地上4階建てで、温室や鳥かごに囲まれたプールまであった。そそり立つ石垣の上の壮大な城は、当時の庶民には、手の届かない成功者の証に見えたことだろう。パテルノ家は38年、コネティカットに居を移す。その際、城は鉄の玉で粉砕した。それほどまでに城を愛していたとは。

 一方、主に恵まれなかったリビー城の方は、20世紀になると石油王ジョン・D・ロックフェラー2世の手に落ち、秘蔵っ子の少年合唱団の練習場となる。しかし、39年に彼が魂を傾けたフォート・トライオン公園の開発のため解体された。

 代わりに同公園内に建ったのが、現在メトロポリタン美術館分館となって一般公開されているクロイスターズだ。インウッド最後の「古城」。中世の修道院を思わせる静謐(ひつ)な美観には、後世に残るだけの気品を感じる。(中村英雄)

周囲の景色に埋もれるようにして残るシーマン城の「城門」。城があった高台には集合住宅が建つ
イタリアから1880年代に移民したパテルノ一家は不動産業で財を成した(写真提供:MyInwood.net)
クロイスターズは、フランスから四つの修道院を移築し合体した建築。ロックフェラー2世が1939年に建てた

バックナンバー

NYジャピオン 1分動画