2016/06/10発行 ジャピオン868号掲載記事

この街に住みたい

インウッド散策❹

 地下鉄Aライン207ストリートの駅からブロードウェーを南に3ブロック下ると西側の丘の上に現れるダイクマンハウスは、1784年ごろの建築。マンハッタンに現存する最古の民家だ。建て主は、ウィリアム・ダイクマン(1725~87年)。1784年は、日本で言えば江戸中期の天明4年。老中田沼意次が財政改革の大ナタを振るっていたころである。

新世界への夢を託して

 ウィリアムの祖父ヤン・ダイクマンは、ドイツのウェストファリアから移住して来た元靴職人。オランダ領時代の1661年にマンハッタン北端の土地所有権を得てサクランボやキャベツの農場を営んでいた。

 ウィリアムの代になって独立戦争(1776~83年)が勃発。ダイクマン家は大陸軍(米軍)に加担したため州北部へ疎開を余儀なくされる。7年後、地元に帰った時には、インウッドは自宅もろとも焼け野原だった。その焦土から立ち直り、新しい人生を切り開こうと3代目ウィリアムが84年に手作りで建てたのが、この家だ。

 資材は、自然石とれんが。建築は典型的なオランダ植民地様式で、正面のポーチと、角度が付いた「腰折れ屋根」が特徴だ。1886年までダイクマン家によって使われていたが、現在は市の史跡であり、民家博物館として一般公開されている。

植民地時代の残香

 屋内に入ると、意外に天井が低い。廊下や階段部分では腰を曲げないと進めない。室内にはあまり日光が入らず、フェルメールの絵画を思わせる雰囲気だ。素朴な食器や調度はよく保存されていて18~19世紀当時の生活を感じさせる。大都会ニューヨークが誕生する以前の空気、ヨーロッパへの郷愁が混じった農民の息遣いが聞こえた気がした。

 必見は、地下にある冬期用台所。かつては、冬は室内で、夏は屋外で調理していたそうだ。天井は上階よりさらに低く、10畳ほどの狭い空間。当時は、ここで奴隷やメードが日がな一日スープの味加減を確かめながら、洗濯物にアイロンをかけたり繕い物をしていたという。

 ウィリアムの息子ジャコバスの代になるとダイクマン家は隆盛をみせる。総敷地面積は250エーカーに。館内に展示されている1819~20年の地図を見ると、マンハッタン最北端から今の190ストリート辺りまでほとんどがダイクマンの領地だ。その中にはリンゴ酒工場もインウッドヒルの原生林もあった。毛皮商転じて不動産王となったジョン・ジェイコブ・アスター(1784年にドイツから移民)がビーバーをとり尽してアッパーイーストサイドに豪邸を建てていたその頃、インウッドはまだのどかな農村地帯であった。(中村英雄)

横から見たダイクマンハウス。現在(左)と1860年代(右)。「腰折れ屋根」の特徴がよく分かる
オランダ植民地様式の特徴であるフロントポーチ。素朴なヨーロッパ農村の伝統を受け継ぐ
大きな暖炉は、調理に使用されたが同時に室内暖房にも一役買っていた

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