2016/05/06発行 ジャピオン863号掲載記事

この街に住みたい

マーレーヒル❹

 マーレーヒルの中でも、「歴史地区」と呼ばれるのが35~38ストリートのパークアベニューとマディソンアベニューの間。この狭い〝別格エリア〟には、時代を少しずつ前後して、多くの歴史的人物が居を構えていた。

新婚時代のFルーズベルト

 36ストリートだけを見ても、そうそうたる顔触れだ。「125 E. 36th St.」 は、新婚時代のフランクリン&エレノア・ルーズベルト夫妻が住んでいたタウンハウスだ。1905年、フランクリンの母サラの大反対を押し切り結婚した二人は、ヨーロッパへの新婚旅行から戻った同年から3年間、ここに住んだ。この間、フランクリンはマンハッタンで企業弁護士として働いており、二人の子供、アナとジェイムズもここに在住中に生まれている。

 仕事に飽きたフランクリンが政界入りをしたのが08年。代々共和党のルーズベルト家の伝統を破り、民主党に入党したのがその年で、同時にマーレーヒルの住居を引き払い、フランクリンの実家があるアッパーイーストサイドに移った。

黒船のペリー提督の自宅も

 そこからほんの数軒先の「115 E. 36th St.」は、米国海軍のマシュー・ペリー提督が、1857年に建てて住んでいたタウンハウス。ストリートから高い階段を上る、5階建ての茶色い大きな建物だ。ペリー提督がここに住んだのはわずか1年間。1858年にはアルコール依存症による肝硬変で他界している。遺体は翌年、ロードアイランド州ニューポートに埋葬された。

 ペリー提督といえば、幕末の日本に開国を迫るため、黒船でやってきたことで知られる。それが1853年と54年だから、その直後からこのタウンハウスの建設が始まり、約3年後に入居したことになる。日本ではちょうど将軍継嗣問題が激化し、一橋派の西郷隆盛(薩摩藩)などが活躍していたころか。提督の死後、この建物は七つのアパートに分割・賃貸され、1981年に所有形態をコープとし、売買物件となった。

 さてそのすぐ隣の「113 E. 36th St.」も、同じく米国軍人のデービッド・ファラガット海軍大将の自宅。彼は、南北戦争(1861~65年)のモービル湾海戦で、「機雷が何だ。全速前進!」と、命知らずの命令を出したことで、大衆から英雄として敬われている。今でもマディソン・スクエアパーク(25ストリート沿い)に銅像があるほどだ。

 このタウンハウスも、ある意味彼の英雄としての「遺跡」だといえる。南北戦争終了後、その武勇をたたえるため、ニューヨークのビジネスマンらが資金を出し合い、購入したものだという。当時の金額で5万ドルだったと、著書「エクスプロアリング・マンハッタンズ・マーレーヒル」(ヒストリープレス刊)に記されている。(佐々木香奈)

1905〜08年、新婚のフランクリン&エレノア・ルーズベルト夫妻が住んだタウンハウス(125E. 36th St.)
黒船のペリー提督が1857年に建て、人生最後の1年間を過ごしたタウンハウス(115 E. 36th St.)
右端がペリー提督邸だった建物。その手前(中央の白いビルの右隣)がファラガット海軍大将邸だった

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