2016/02/26発行 ジャピオン853号掲載記事

この街に住みたい

サンセットパーク❹

北欧系全盛期に出現
「ビーフシチュー」商店街

 むかし、サンセットパークの8アベニューと45ストリート辺りから南は「ラプスカウス大通り」と呼ばれていた。ラプスカウスとはノルウェー風ビーフシチューのこと。日本でいえば「スキヤキ商店街」みたいなイメージだろうが、それほどノルウェー人が多かった。全盛期の20世紀半ばには5万人以上が居住。通りの両側は全てノルウェーのお店。肉屋、魚屋、洗濯屋、靴屋、金物屋、雑貨屋…。オルセン、ラーセン、ペテルセンなど「セン」の付く看板が並び、地下鉄Rラインは別名「ノルウェー線」。路上ではノルウェー語が飛び交い、人々はノルウェー語の新聞を読んでいた。スカンジナビア系移民のほとんどが、湾岸のブッシュターミナル配送センターを核とした港湾関係の仕事に就いていた。職住接近である。

 19世紀から20世紀前半は鉄道貨物と船舶が運輸の花形。両者を合体させたブッシュターミナルは、総面積81ヘクタール。7本の貨物専用埠頭(ふとう)に、工場や倉庫が直結し、当時としては画期的かつ世界最大規模の物流センターだった。付近一帯は、世界大恐慌(1929年)の影響も比較的少なく、両大戦中は、軍事物資と兵員の送り出し港となり、陸軍専用のターミナルも併設された。だが、見た目の活気とは裏腹に陰りがじわじわと迫って来る。

高速道で分断された
北欧コミュニティー

 その一つが交通網の再編による影響である。1941年に同エリアを南北に縦貫する6車線の高架高速道「ゴワナスエクスプレスウェー」が開通。当時のニューヨーク市土木部長ロバート・モーゼス(本コラムの「常連」悪役)による大胆な高速道路網整備計画の一環であるが、おかげで、3アベニュー沿いの1300世帯が立ちのきを強いられる。鉄道貨物は急速に衰退し、代わりにおびただしい数の長距離トラックがエリアに流入するようになった。高架線で分断されたサンセットパークの西側(海沿い)は、にわかに治安が悪化。そして64年に対岸のスタテン島とつなぐベラザノ大橋(1298メートル)が開通すると、モーゼスが推奨するモータリゼーションは一気に加速し、スカンジナビア系住民はみるみるうちに郊外に脱出してしまった。時代はテレビとジーンズとロックンロール。誰もがガレージ、芝生付きの一戸建てを夢見ていた。

 その結果、70年には「ラプスカウス大通り」がもぬけの殻に。さらに湾岸エリアの陸海運業者が次々と空港に近い隣州のニューアークへ移ったため、地域の産業は空洞化。特に、3アベニュー以西は「近付くな」といわれるほど犯罪の多いエリアに成り下がった。

 そんなアブない高架線下に1890年以来、労働者相手に作業靴を販売している靴屋「フランケルズ」がある。3代目オーナーのマーティー・フランケルさんは、「昔は日本の貨物船も定期的に入港して国際的な活気があった」と振り返る。「港がニュージャージー側に移転した途端にガラが悪くなった。でも景気の浮き沈みにかかわらず、ウチの店は125年間ずっと労働者たちの足下を守ってきたんだよ」。

今、色付き始めた
サンセットパーク

 スカンジナビア系住民が立ち去った後の8アベニューに中国移民が住むようになったのは1986年ごろから。最初は米国人相手の広東系雑貨店が一軒あるだけだったが、30年で3万4000人が暮らす中華街に成長。現在の住民は福建省出身者が多いという。旧正月には、獅子舞の一団が祭太鼓に合わせて練り歩いていた。

 もう一本の目抜き通り「5アベニュー」には、メキシコ人、ドミニカ人、コロンビア人などラテン系移民が多く住む。あまりの寒さにダイナーに飛び込んでコーヒーを注文したら、大音響でサルサが流れる中、ピチピチの格好をしたウエートレスが腰を振りながら給仕してくれた。

 長年、放置されていたブッシュターミナルは、最近になってインダストリー・シティーの名のもと再開発され、かつての倉庫や工場にIT関係のスタートアップ企業がぼちぼち入り始めた。ロビーには、「第三波」系コーヒースタンドのいい香りが漂い、湾に臨む広大なラウンジではヒップスターたちが玉突きに興じている。かつて北欧一色だったサンセット・パークは、50年に及ぶ灰色の時代を経て、カラフルに蘇りつつある。
(中村英雄)

ブッシュターミナルは最盛期、貨車1000両が収容可能だった。物資の荷揚げ、倉庫保管、製造、鉄道輸送が一体化されていた
作業靴専門店「フランケルズ」は1890年創業。ニューヨーク市内の靴屋では最も長い歴史を持つ。顧客のほとんどが現場作業員たちだ
ブッシュターミナルにある計16棟の工場や倉庫を全面改装したインダストリー・シティー。IT企業を誘致中

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