2016/02/12発行 ジャピオン851号掲載記事

この街に住みたい

サンセットパーク❷

 1811年の都市計画で「グリッド制」導入以来、マンハッタンのハウストン通り以北の街区は、正確な碁盤の目に区切られ、みるみるうちに宅地造成が進んだ。1800年に6万人強だったその人口は、20年には12万人を超え、30年代には30万人に迫った。

冥界テーマパークの誕生

 当然の話だが、生きている人間の増加に比例して死者の数も増える。狭いマンハッタンにおいては、従来の教会付属墓地では埋葬が追い付かず、行き場のない死体がそこら中で異臭を放っていた。伝染病の原因にもなり、市民の不安と我慢は限界に。墓地の新設は市最大の課題だった。

 そんなとき、ブルックリンの丘陵地帯に広大な公園墓地を計画したのが、ヘンリー・E・ピアポント(1808~88)である。ヘンリーは、米国初の郊外住宅地ブルックリンハイツを作った不動産王ヘゼキア・ピアポントの息子で、市政に大きな影響力を持っていた。墓地開発に当たって欧州各国を視察したヘンリーは、そこで出合った「美しい自然景観の中に故人の永遠のすみかを築き、市民の憩いの場とする」という最新流行の「公園墓地コンセプト」にいたく感銘を受けた。英国の風景画を思わせる造園をして、38年にグリーンウッド墓地をオープンさせた。

 案の定、公園墓地は大変な評判を呼び、週末ともなるとマンハッタンから大勢の家族連れが詰めかけた。セントラルパーク(開園59年)もプロスペクトパーク(同67年)もまだない時代。「私をお墓に連れてって」がデートの合言葉?だったかどうかは知らないが、グリーンウッドが、それ以前の幽霊と死臭が漂う「お墓」のイメージを刷新したのは間違いない。60年には年間50万人以上の集客を記録。ナイアガラの滝に次ぐ全米第二の人気観光スポットになった。

死者の迷路を歩く

 ある晴れた真冬の午後、グリーンウッドを訪ねた。

 地下鉄Rラインの25ストリート駅を降り、東に向かって坂を上がると、ディズニーランドをほうふつとさせる荘厳な正門が迎える。19世紀の教会建築家リチャード・アップジョンのデザイン。さしずめ「冥界テーマパークのメーンゲート」といった印象だ。

 門をくぐって、墓守から園内案内図を受け取る。大判でレトロなデザインの地図を広げると、道路が神経組織のように張り巡らされている。明らかに非日常。

 総面積1・93平方キロ。迷ったら大変なことになるぞ。地図と首っ引きで、丘を上る。全ての道がカーブを描き、バーチだのメープルだの樹木の名前が付いていて煩雑極まりない。そして、冬の墓地には人っ子一人いない。それにしても墓石のスタイルは、オベリクス型、ギリシャ神殿型、ピラミッド型と実に多種多様。死後の名声にこだわる人間の性(さが)が丘の上で競う。

グリーンウッドの住人たち

 開園と同時に、マンハッタンの富裕層から「ニューヨークで一番入りたいお墓」とうたわれたグリーンウッド。眠る霊魂は56万超。中には歴史上の人物も多い。例えば、ブルックリンハイツの教会で「奴隷制度廃止」を訴えて絶大な人気を得たヘンリー・W・ビーチャー牧師(1886年没)。実業家にして発明家のピーター・クーパー(83年没)。リンカーン暗殺の瞬間に劇場の舞台に立っていた女優ローラ・キーン(73年没)など。

 一目で生前の功績が分かる墓石もある。プロ野球の父ヘンリー・チャドウィック(1908年没)のそれにはボール、バット、ミットがあしらわれているし、擬人化した熊の風刺画で有名なウィリアム・H・ビアード(00年没)の墓石には熊の彫刻がまたがっている。

 最近の人では、日本人にもおなじみの音楽家レナード・バーンスタイン(90年没)が、夫人と共にここに眠る。夭逝(ようせつ)したポップアートの天才ジャン・ミッシェル・バスキア(88年没)の墓碑もあった。地図を片手に有名人の墓を見つけるのは意外に難しい。きっと、実際の冥界で家族や知人を捜すときにも同じ苦労があるに違いない。

 墓石たちの声のない合唱に誘われて道に迷い、56万もの停止した時間に囲まれると、不思議なことに、自分も宇宙の一部である安心感を覚える。湖は凍てつき、今は一面の銀世界だが、やがて春が訪れ、7000本を数える木々が芽吹けば、グリーンウッドは再び英国風景画のような温もりのある景色を取り戻すのだろう。(中村英雄)

グリーンウッド墓地の正門は冥界への入り口。教会建築家リチャード・アップジョンがゴシック・リバイバル様式で設計した
池を囲むようにして小高い丘の上に墓石が並ぶ。瞑想でもしたくなるほど静かな景色。春になるとこれが文字通り「緑の木」で覆われる
作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインとフェリシア夫人の墓は木陰に仲良く並んでいる

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