2015/10/23発行 ジャピオン836号掲載記事

この街に住みたい

タートルベイ❸

 1960年代のタートルベイ、特に鉄橋列車「EL」撤廃で一気に開放された3アベニュー沿いは、高層オフィスタワーの建設ラッシュだった。61年の市の区画変更の際、市がデベロッパーに交換条件を課すことで、高層ビル建設が許可された。1階に公共のアウトドアスペースを設けることが、その交換条件だった。
 
 大手デベロッパー、カフマン・グループ、ダースト・オーガニゼーションによる37、38階建ての近代ビルが、まさに林立し始めた。3アベニューのビル番号「711」「777」「767」などはカフマン・グループ、「655」「733」「675」「757」「825」などはダーストによるもの。これらのオフィスタワーは、タートルベイの明るい新時代を象徴するものとして、住民にも歓迎された。

不運の映画館と醜いホテル

 「大都市の小さなコミュニティー、タートルベイ」に、かつて2500席もある映画館があった。今もある映画館チェーン「ロウズ」の、51ストリートとレキシントン・アベニューの南東角にあった「ロウズ・レキシントン劇場」だ。
 
 もともとオペラハウスとして14年に建てられたのだが、メトロポリタン・オペラとの軋轢(あつれき)で、オペラを上演できなかったという不運の劇場。完成・開館とほぼ同時に、オペラの代わりに映画を上映し始めたという。
 
 この映画館が60年4月3日に閉館。翌日にはビルの取り壊しが始まり、ホテルが建てられることになった。21階建ての「ザ・サミット」だ。ところが、建築家によるデザインが色とりどりの〝派手派手〟で、今のマイアミビーチのホテルが、昔のタートルベイにあるような様相だったという。
 
 「暗黒時代」が明けるか明けないかという微妙な時代のタートルベイ住民にとって、この〝派手派手デザイン〟は生理的に受け入れ難いものだった。「醜い」「街にそぐわない」と大ブーイングを食らった挙句に、61年のオープン3カ月後には壁が塗り直され、地味なベージュ色になったのだとか。現在は「ダブルツリー」というホテルになっている。
 
 市のランドマーク条例が成立し、タートルベイのいくつかの建物が、「歴史的建造物」指定を受けたのも60年代のこと。アムスターヤード(49ストリートの2と3アベニュー)、タートルベイ・ガーデンズ(48、49ストリートにまたがる2と3アベニュー)などがランドマーク指定を受けた。

国連本部の急成長

 60年代のタートルベイは、よくも悪くも不動産動乱期。それは、国連の急成長とも無縁ではなかった。
 
 国連本部がタートルベイに建設されて15年がたった66年。加盟国も当初の60カ国から122カ国に増えた。国連本部がある敷地内では事足りず、周辺ビルが国連関連機関のオフィスや外交官・海外からの要人の宿泊施設として必要になった。そこで、周辺地域の開発計画を練ったのが、フォード財団、ロックフェラー・ブラザーズ財団、イーストリバー・タートルベイ財団だった。
 
 44ストリートの1と2アベニューを「スーパーブロック」とし、44階建てのツインタワーを建設。1アベニューの42から47ストリートを閉鎖し、観光客用の展望エリアとする。47ストリートと2アベニューのダグ・ハマーショルド・プラザから、チューダーシティーまでをつなぐ遊歩道を建設。
 
 何とも大掛かりな計画で、実現のためには既存の住居ビルや、出来上がったばかりのチャーチ・ピースセンターなどが取り壊されなければならなかった。68年、ネルソン・ロックフェラー知事、ジョン・リンゼイ市長がこの計画を承認し、住民の反対運動が始まった。
 
 言うまでもなくこの計画は頓挫したが、それまでには紆余曲折があった。69年末、代替計画が提案されたはいいが、「スーパーブロック」が43から45ストリートまで拡大されてしまった。
 
 しかも、この代替案の実施のためには、大幅な区画変更が必要だった。これを認めれば、市内のあらゆる住宅エリアが開発の名のもとに破壊されることも考えられた。大反対したのが、地元を代表する当時の国会議員、エド・コッチ(後のニューヨーク市長)だ。タートルベイ選出の市会議員アンドリュー・スタインも、「その代替案、ごっそりウエルフェア島(現在のルーズベルト島)に持っていけ」と市にかみついた。計画が撤廃されたのは71年だった。
 
 市の中心地であるがゆえに、タートルベイの対行政との闘いは尽きず、70年代には新たな挑戦が待ち受けていた。 (佐々木香奈)

1963年に完成した777 3rd Ave.(bet. 48th & 49th Sts.)。60年代の超高層オフィフビル建築ラッシュを代表するビルの一つ
現在の国連本部。1946年創設。60年代には国連の成長とともに、本部周辺地区の開発計画でタートルベイ住民を脅かした
51丁目とレキシントンアベニューの南東に立つホテル。ここには1960年まで映画館があり、61年にはホテル「ザ・サミット」があった

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