2015/09/11発行 ジャピオン830号掲載記事

この街に住みたい

リトルイタリー❶

 リトルイタリーに行くなら今が一番。サンジェンナーロの祝祭(9月10〜20日)の真っ最中で、街が一年で最もにぎわう時期だ。ナポリの守護聖人の「ご神体」を担いで街中を練り歩くパレードは、荘厳そのもの。まるでヨーロッパにいるかのような非日常的な気分に浸れる。今年で89年目。これだけ長く続く背景には、この街を愛するイタリア系米国人の強い故郷愛と団結力があるに違いない。

リトルイタリー前史

 映画や音楽の世界ではおなじみのイタリア系米国人だが、その移民の歴史は意外に浅く、急増したのはアイルランド系、ドイツ系移民より遅く、1870年以降のことだ。原因は、皮肉なことに本国イタリアの統一である。中世以降小国に分裂していたイタリアでは19世紀に入ってようやく天下統一の運動が巻き起こり、ジュゼッペ・ガリバルディの指揮下で61年に晴れて独立国家として統一を達成した。日本史で言えば文久元年。米国史で言えば南北戦争勃発の年である。

 ところが皮肉なことに統一は、工業化を推進する北部と南部の農村地帯の間に格差をもたらし、ナポリやシチリアの南部貧農は重税と悪政で、さらなる困窮を強いられた。そこで、彼らがやむなく目指した新天地がアメリカ合衆国である。折しも南北戦争で60万人の命が失われた米国では、労働力が不足していたので、渡りに船。70年〜1920年の間に400万人もの移民がイタリアから押し寄せた。その、多くがエリス島の入国管理所を通過すると、ニューヨークのリトルイタリーに直行した。そもそも、そこはファイブポインツと呼ばれる貧民窟で、イタリア系の前にはアイルランド系移民たちがギャングの抗争を繰り広げるとんでもない地区だった。

イタリアの21番目の州

 劣悪な環境のスラム街で、南部イタリア出身の移民たちはテナメントと呼ばれる簡易アパートに大家族で身を寄せる。いかに窮屈な生活を強いられたかは、現在オーチャードストリートにあるテナメント博物館にその一室が保存されているから一度見てみるといい。男たちは建築や土木工事の肉体労働に就き、女たちはお針子やメードとなってがむしゃらに働いた。誰もが、いち早く苦境を抜け出し郊外に広い家を買うことを夢見ていた。伝染病と犯罪のはびこる地獄のようなエリアだったが、それでも食べることにどん欲な彼らは、次々と食料品店を開業。あふれる食材は路上の屋台でも売られ、さしずめ昼間のリトルイタリー全体が生鮮市場のような活況を呈したという。

 映画「ゴッドファーザー」でおなじみの通り、イタリア人は家族の絆と郷土愛を人一倍大切にする。貧しい移民同士で互助組織を作り、同郷の人間は同じ通りに住むようになる。例えば、マルベリーストリートにはナポリ人、エリザベスストリートにはシチリア人、モットストリートにはプッリャ出身者が集まった。

 各通りには故郷の方言が飛び交い、かいわいはまるでイタリアの一部と化した。1910年代から4世代に渡ってここで商店を経営する初老の店主は、子供時代を振り返ってこう言う。「この街はイタリアの21番目の州だったね」。

天災除けの聖人を祀る

 リトルイタリーでサンジェンナーロの祝祭が始まったのは1926年のことだ。発起人は当時マルベリーストリート在住のナポリ出身者だ。

 サンジェンナーロは紀元3世紀に実在した聖人で、ナポリの町をベスビオス火山の噴火や地震から守るといわれる。ナポリの大聖堂には聖人の凝固した血液が保存されており、9月19日の命日には大司教がその容器を振る。血が液体になるのを見ると吉兆。災厄を免れるとナポリ人は信じている。

 わがリトルイタリーでは、12日に大パレードが行われ、19日にはモースト・プレシャス・ブラッド教会(住所はマルベリーストリート)に奉納されているサンジェンナーロ像を担ぎ出し街路を練り歩く。さすがに「血の液化」の儀式はニューヨークではないが、代わりに赤十字共催で献血活動が行われる。脈々と流れる移民の「伝統」を体感したい方は、ぜひこの機会に血を献上されるといい。

 立派なお祭りとは裏腹にリトルイタリーで暮らすイタリア系移民の子孫は年々減りつつある。次回は、数少ない彼らの実像と足跡に迫る。
(中村英雄)

サンジェンナーロ祭のフロート。背景にあるのは簡易アパート「テナメント」。現在ではスタジオで家賃月2000ドルは下らない
1900年当時のマルベリーストリート。街中が巨大な市場だった。ベイヤードストリート辺りから北を臨む
聖サンジェンナーロをまつるモースト・プレシャス・ブラッド教会。周辺にはナポリ出身の移民が多く住んだ

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