2015/06/26発行 ジャピオン819号掲載記事

この街に住みたい

アストリア❹

食文化に貢献
イタリア移民

 19世紀にドイツ系移民が下地を作ったアストリア。20世紀にはイタリアから移民がどっと押し寄せた。1915年には全米のイタリア系人口が500万人を超える。貧しい南部イタリアの農漁村出身者が多く、新天地では建設業や廃品回収業、飲食関係の仕事に就き、夢を追った。

 アストリア全域に点在するイタリアンベーカリーは当時の名残だ。また、街外れになるが、15年に35ストリートとノーザンブルバードで創業したロンゾーニ・マカロニ社は、アストリアから世界的なパスタブランドに成長した「移民の星」。先回、紹介した歌手トニー・ベネットも地元の英雄の一人。デビュー前は近所のレストランで夜な夜な美声を聴かせた。

 テレビの料理番組で有名なリディア・ バスティアニチは、旧ユーゴ(現クロアチア)のイタリア語圏から家族とともに12歳で当地に移民した変わり種。10代からイタリア料理店で働き、現在はマンハッタンのイタリア系マーケット「イータリー」の共同経営者にまで上り詰めた。60年代、俳優クリストファー・ウォーケンの実家のパン屋で一時修業していた、というから世界は狭い。

戦後の主役はギリシャ移民

 第二次大戦後、急増したのがギリシャ移民だ。米国への移民は46年から82年の間に計21万人超。背景には65年の移民国籍法大改正と、東西冷戦で板挟みになっていたギリシャ国内の政情不安や軍事政権の台頭。 ギリシャ人は同胞意識が極めて高く、移民しても固まって暮らす傾向がある。

 彼らの拠点となったアストリアには、本格的なギリシャ料理店が多い。新鮮な魚介類をあっさり調理するので日本人の口にも合う。中でもディトマスアベニューのタベルナ・キクラデスはいつ行っても超満員。「タベルナ」と言われると余計「食べたく」なるのが人情。一度は味わっておきたい。

 ギリシャ食材なら、地下鉄N、Q線の高架線沿いの総合食料品店タイタンが面白い。自家製グリークヨーグルト、ピスタチオ入りの「バクラバ」、魚卵とジャガイモのサラダ「タラモサラタ」など本場の味が手頃な値段で手に入る。

 ギリシャといえばオリンピック。古来、体を鍛えるのが好きな民族とみえてアストリアには、ギリシャ系のスポーツジムまである。30アベニュー駅から徒歩1分のルーパキス体操教室。指導者のピーター・ルーパキスさんは、ギリシャ生まれで5歳のとき一家でアストリアに移住。アクロバットの選手だった父親のトニーさんは息子のピーターさんらに体操の英才教育を施す。親子で全米巡業や競技会参加の傍ら73年にジムを開設。マシンを使わない選手経験に基づく実践的なトレーニングを提供している。ちなみに、アストリアは米国でも、ジムの集中度がひときわ高い。ある統計によると、同地域の住民がフィットネスに費やすお金も月平均112ドルで全米4位。オリンピアの血が関係しているかも知れない。

庶民の国連へ
中近東街も活気

 イタリア、ギリシャの後も、「庶民の国連」と言われるほど多彩な国々から移民がこの地に流入した。例えば90年のバルカン紛争以降、アルバニア系移民が増え、「赤地に黒鷲紋章」の旗を掲げた互助会が街の随所にできた。ブラジル、コロンビア、エクアドルも着々と進出。昨夏のサッカーW杯では地元スポーツバーが大変な盛り上がった。

 そして忘れてならないのがスタインウェイストリートの中近東街。2ブロックに渡り料理店、水煙草カフェ、食材店がひしめく。20年ほど前からの現象らしいが、通り沿いに「エルイマームモスク」が建立されて以来、市内各所からイスラム教徒たちが集まり、礼拝の日には舗道にまで人々であふれ返る。夕暮れにクルアーンの詠唱が流れるとまるで中東にいる気分だ。

 当初はエジプト人が多く、続いてモロッコ、イエメン、ヨルダン、はてはインドネシアまでさまざまなイスラム圏の人々が参入。「『リトルカイロ』などと呼んでほしくない。国ごとに文化、習慣も全然違う。それがこうして一つの社会を作って助け合っている。ニューヨークならではだよ」と古参のエジプト人の飲食店店主は語る。「人種のるつぼ」という決まり文句がマンハッタンではもはや通用しなくなった今、移民都市ニューヨーク本来の姿はアストリアにあるような気がした。
(中村英雄)

ディトマスアベニューにあるギリシャ料理の老舗タベルナ・キクラデス。 魚介類のグリルのほか、ケバブやギリシャ風ソーセージも絶品
ルーパキス体操教室。窓一面に張られた新聞記事が親子のアクロバット歴戦の栄光を語る。指導は、本場ギリシャのスパルタ式だろうか
中近東街はここから始まった。ランドマーク的存在のモムバー。店主でシェフのムスタファさんがユニークな外装とインテリアを手掛けた

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