2015/06/19発行 ジャピオン818号掲載記事

この街に住みたい

アストリア❸

西のハリウッド 東のアストリア

 20世紀に入るとアストリアの街の様子ががらりと変わる。1920年、36アベニューと34ストリートの角に映画撮影所が誕生したのが大きい。貧しいハンガリー移民の労働者から毛皮商を経てプロデューサーに成り上がったアドルフ・ズーカーが創業した「フェイマス・プレーヤーズ映画社」(現パラマウント映画の母体)のスタジオで、当初はサイレント映画を中心に制作。人気女優メアリー・ピックフォードやリリアン・ギッシュ、喜劇王W・C・フィールズ、元祖セックスシンボルのルドルフ・バレンチノなど銀幕スターたちがアストリアのセットから次々にヒットを飛ばした。

 まだ舞台と映画を掛け持ちしていたサイレント時代の俳優たちにとって、ブロードウェーに近いアストリアは好都合。西のハリウッドと肩を並べる映画文化がこの地に花開いた。中でも、グロリア・スワンソンは、「週に100万ドル稼ぎ、100万ドル使う」と噂された大女優だが、当時を振り返ってこう言った。

 「クイーンズの撮影所には、難民や亡命者も大勢いて、ハリウッドにはない自由な気風があふれていました。革命的で新しい映画表現への意気込みがあったのです」

トーキーで没落も息吹き返す映像の街

 その後、映画がトーキーになるとアストリアはハリウッドに完敗。戦時中から冷戦時代にかけては、米軍のプロパガンダ映画専用スタジオに降格した。しかし、70年代以降は細々ながら商業映画撮影も復活。ミュージカル映画「ヘアー」や「ザ・ウィズ」、テレビ番組「コスビーショー」「セサミストリート」などがここで制作されている。82年、地元の不動産業者がスタジオを買収。以来、カウフマン・スタジオの名称が付いた。

 最近では、地域再開発計画が進み、撮影所の看板を新調。昨年、1800平方メートルの新スタジオ増設も発表され、周辺には「業界人」が集まるバーやレストランも増えた。本館地階にあるレストラン「アスタールーム」は95年前と変わらぬ内装。バレンチノらがここで会食し美酒を交わしていた姿が目に浮かぶ。

 スタジオに隣接する「映像博物館」は必見だ。かつてのスタジオ施設を改装して88年に開館。2009年に未来的なデザインでリノベーションすると、飛躍的に来館者が増えた。映画やテレビ、ゲームのコンテンツも「映像」ジャンルとみなす同館は、市内でも最高に映写効果の良い試写室を備え、シネコンやインターネットでは観られない古今東西の名作映画、実験映画、外国映画を、ときにはフィルムで上映する。

 日本映画の連続上映にも熱心で、昨年は溝口健二監督、今年は小林正樹監督と俳優仲代達矢の特集を組んだ。また、撮影器材、セット、衣装など映像の舞台裏に関する貴重な所蔵品が多く、ユニークな企画展を打ち出している。

この街が輩出した新旧の才能たち

 撮影所の影響か、アストリアにゆかりのある芸能人は少なくない。古くはブロードウェーと映画の両分野で活躍したエセル・マーマンが、アストリア出身。オペラ歌手のマリア・カラスは、ギリシャ移民の娘。幼年期をギリシャ系移民の多いアストリアで過ごした。同じくギリシャ系では、テレビドラマ「フレンズ」でおなじみの女優ジェニファー・アニストンが、やはりこの街育ち。男優では、クリストファー・ウォーケン(「ディアハンター」「デッドゾーン」ほか)が、アストリア・ブールバード沿いのパン屋の息子。父親はドイツからの移民だ。

 そして、アストリア出身の名士芸能人のトップといえば、トニー・ベネットだろう。「霧のサンフランシスコ」など世界的ヒットで有名なこの大歌手は、26年に貧しいイタリア移民の子としてアストリアに生まれている。御年89歳の現役。最近ではレディー・ガガとのデュエットで話題を呼んだ。ライバルの故フランク・シナトラはトニーを「音楽業界最高の歌手」と讃えた。2009年、その盟友の名を冠してトニーが設立したのが「フランク・シナトラ高校」だ。スタジオの目の前に、モダンな校舎が立つ。ニューヨーク市の公立校なるも、その名の通り、音楽、映画、演劇のプロを目指す若者の養成機関である。構内の「トニー・ベネット劇場」では、毎晩のように才能あふれる同校生徒のパフォーマンスが一般公開されている。再生途上の「映画の街」の大きな原動力であることは間違いない。
(中村英雄)

1920年創立のカウフマン撮影所(左)と映像博物館。米映画史を生き抜いた貴重な施設は、いま再生しつつある
年間400本超を上映する映像博物館の試写室。有名人を招いての講演も多く、先日は俳優の仲代達矢を日本から招待した
2009年に新設された「フランク・シナトラ高校」は、音楽や舞台芸術の才能に恵まれた高校生が集まる市立の専門校

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