2015/03/27発行 ジャピオン806号掲載記事

この街に住みたい

バワリー❹

地に落ちたイメージアートによる再生

 3月はチャイナタウンのチャタムスクエアからイーストビレッジのクーパースクエアまでを貫く通り「バワリー」の歴史をたどってきた。最終回の今回は、20世紀に入って、どん底まで評判を落としたバワリーの再生について書く。

 「スラムよりひどい」とさげすまれ、住所にバワリーの文字が入るだけでイメージが悪くなるという理由で、周辺の住民やビジネス所有者らが、名称変更の申請を何度もするほど嫌われたバワリーも、20世紀半ば以降は新たなアイデンティティーを持ち始め、そして復活する。その原動力がアートと音楽だ。

 独特の退廃的な雰囲気、安価な酒を提供する「どん底」感のある酒場に引かれてこのエリアに通うようになる人々の中には、サックス奏者のチャーリー・パーカーや、ビート作家のジャック・ケルアックもいたという。また、第二次世界大戦後の数年間で、アーティスト、ミュージシャン、学生らが、安いアパートやコマーシャルスペースを求めて大量にバワリーに押し寄せる。こうした新しい住人たちが、「新バワリー」を作っていく。

ELの撤去が拍車を掛けたアートのクロスオーバー

 アーティストの流入には他にも大きな要因がある。大通りに影を落としていた高架鉄道「EL」が1957年に撤去されたことだ。これによりグリニッチビレッジとの心理的な垣根がなくなり、当時勢いのあったビレッジの芸術・文化のムーブメントがイーストサイドにも波及。当時新しい芸術の発信者となっていたアーティストたちが、活動の拠点を求めてバワリー周辺にも徐々に入ってくる。

 最も影響力があったのはマーク・ロスコが58年に222バワリーにスタジオを求めてやってきたことだろう。57丁目にあったアパートが手狭になったのと、その場所からは何のインスピレーションも得られないことが理由だといわれているが、当時すでに画家としての地位が高かったロスコが当地に引っ越してきたことは画期的なことだった。

 彼が入居した2年後、アーティストのウィン・チェンバレンが最上階に入居し、ここがコンテンポラリーアーティストたちのたまり場となる。入り浸っていたメンバーの中にはアンディ・ウォーホルもおり、彼の6時間にもおよぶ実験映画「スリープ」が最初にプライベート上映されたのもこの場所だった。

 ウォーホルの友人で「スリープ」の被写体ともなった詩人ジョン・ジョルノも65年に同ビルに移り住む。自らのレコードレーベル「ジョルノ・ポエトリー・システムズ」を立ち上げ、本、レコード、ビデオを製作するとともに、初期のマルチメディアイベントなどもプロデュースした。

 75年から81年まではビート作家のウィリアム・バロウズが同所の住人となる。バロウズは隠遁(いんとん)生活を好み、窓はなく、防弾扉と三つのゲートに守られた部屋に住んだ。徹底的に外界から隔離された彼の部屋には画家のジャン・ミシェル・バスキア、詩人のアレン・ギンズバーグ、またミック・ジャガー、ルー・リード、パティ・スミスなど、一握りの「お気に入り」しか訪れなかったという。

パンクロックで息を吹き返したバワリー

 ジャガーやリードなど、新進ミュージシャンたちがバロウズの「隠れ家」を訪れていたころ、バワリーは新しい音楽の発信地としての地位を着々と築いていた。

 2006年に惜しまれつつその幕を閉じた伝説のライブハウス「CBGB&OMFUG」が、73年に315バワリーにオープンする。「カントリー・ブルーグラス&ブルース・アンド・アザーミュージック・フォー・アップリフティング・ゴーマンダイザーズ」というなんとも長い名前の略だが、ここにオーナーのヒリー・クリスタルの「良質で、新しい感性の音楽」を求める心意気が感じられる。「ザ・ラモーンズ」「ブロンディー」「トーキングヘッズ」といったバンドが演奏し、オープンまもなくCBGBはパンクロックのメッカとなる。

 時が経つにつれ、演奏するバンドの傾向やジャンルは変わっていくが、CBGBは伝説のライブハウスとして君臨し、93年にオープンした「マーキュリーラウンジ」(217イーストハウストン・ストリート)や98年オープンの「バワリーボールルーム」(6デランシー・ストリート)とともに、バワリー周辺に音楽ファンを引き付ける拠点となった。
(編集部)

20世紀半ば以降アートと音楽で勢いを取り戻したバワリー。ハウストンストリートとバワリーの北西の角には、1982年にキース・へリングが壁画を描いたことで知られる「バワリーミューラル」がある。
アートで再生したバワリーにふさわしい「ザ・ニューミュージアム・オブ・コンテンポラリーアート」(235バワリー)。設計は妹島和世、西沢立衛(SANAA)。
1958年に画家マーク・ロスコが移り住んだ222バワリーのビルはクイーンアン様式の5階建て建造物。1885年に全米初のYMCAが開業し、1932年まで使っていた。

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