2015/02/27発行 ジャピオン802号掲載記事

この街に住みたい

ハーレム4

南部料理が育んだ食の都ハーレム

 ハーレム探訪4回目は、食べ物をテーマに街歩きしてみよう。

 1865年に南北戦争が終わり奴隷が解放されると、米国の工業化に伴って大勢の黒人たちが南部からハーレムに押し寄せる。ニューヨークにも数こそ少ないが奴隷人口はあって、裕福な白人家庭で住み込みのコックなどを務めていた。中には、解放後に料理の腕前を生かして地元民相手の食堂経営に夢を懸ける者も少なくなかった。

 安価で腹持ちがよく、栄養満点で労働者たちが大好きな料理。となると南部伝統の家庭料理だ。豚足やカラードグリーンの煮付け、臓物のシチューや豆の煮物と米の飯。そしてトウモロコシのパン「コーンブレッド」。黒人たちが限られた素材で工夫してこしらえた「庶民のごちそう」がメニューに並んだ。

 今でこそオシャレな軽食として再評価されているマカロニ&チーズも、もとをたどれば大恐慌時代の配給チーズを安価な炭水化物マカロニとおいしくあえた黒人料理が起源だ。これらがいつしかハーレム名物となり、「黒人の黒人による黒人のための」食堂があちこちにできた。時あたかも1920年代。ハーレムルネサンスの真っ最中。黒人文化を享受する白人が増えるに従って、黒人の料理も少しずつ認知されるようになった。

黒人の魂の料理ソウルフードの誕生

 しかし、こうした料理が「ソウルフード」と呼ばれるのは、60年代に入ってからだ。公民権運動の最盛期、ブラック・イズ・ビューティフルとうたわれ、黒人の自意識がさらに高くなった頃。クラブでかかるのは「ソウルミュージック」一辺倒。テレビも「ソウルトレイン」が人気という時代に「これぞ黒人の魂の料理だ!」とばかりに南部の伝統料理にこの呼び名がついた。

 ハーレムで最初に「ソウルフード」を標榜(ひょうぼう)したのはレノックスアベニューと126ストリートの角にある老舗「シルビアの店」。創業62年。サウスカロライナ出身のシルビア・ウッズさんが自慢の家庭料理を前面に出したところ、政治家や芸能人もわざわざ食べにくるほどの人気店となった。

夜と朝の間で生まれたワッフルチキン

 ハーレム名物の中には、この町で誕生したメニューもある。例えば、ワッフル&チキン。朝食で定番粉モンのワッフルの上にフライドチキンがどんと乗る「あり得ない」コンボを提唱したのは、38年に7アベニュー(現アダム・クレイトンアベニュー)に出店した「ウェルズ・サパークラブ」の主人ジョセフ・T・ウェルズさん。

 当時は、コットンクラブやアポロシアターで深夜遅くまで演奏するジャズマンたちが、午前3時、4時の朝まだきにどやどや来ては食事を注文するのが常だった。夕飯には遅すぎるが朝飯には早すぎる微妙な時間帯。チャーリー・パーカー、マイルス・デイビス、ナット・キング・コールら大物も来た。

 それを見たウェルズさんが思いつきで始めた「ワッフルにチキン」。ミュージシャンに大受けして全米に広まり、瞬く間に黒人料理の定番になった。同店は82年に一度クローズし、その後再オープンしたが、残念ながら2012年に閉店した。

 発祥の店はもう存在しないが、ワッフルチキンはハーレム中の至る所で食べられる。お薦めは116ストリートの「エイミー・ルースの店」。おばあちゃんの代から続いている老舗。超甘メープルシロップがかかったワッフルと塩味の利いたパリパリチキンは意外にマッチ。朝から眠気を払って精をつけようと思ったら昨今のエナジードリンクよりよほど効果大だ。

 113ストリートにある「メルバの店」では、さらに手が込んでいてワッフル生地にイチゴを練り込み、チキンはバターミルク仕立てという濃厚攻勢。ちなみにオーナーのメルバ・ウィルソンさんはハーレム生まれのハーレム育ち。南部出身の第一世代オーナーとは一線を画する、次世代組だ。

 夕食だろうが朝食だろうが良いものはなんでも「一緒盛り」にする。そのためには常識だって覆す。これは極めてジャズの発想に近い感覚だ。ジャズの名曲「NightandDay」のタイトル通り、「夜も昼も」なかったハーレム。本場のソウルフードを口にすると、この街のそんな活気と躍動感が直接、胃に伝わってくる。
(中村英雄)

ソウルフードの老舗「シルビアの店」。同店の所在地は創業者にちなんでSylvia P. Woods Wayと名付けられている
「エイミールースの店」のチキン&ワッフル「アル・シャープトン牧師」。チキンはフライか蒸し煮かのどちらかを選べる
「メルバの店」は2005年オープンと比較的新しいが、生まれも育ちもハーレムのメルバ・ウィルソンさんが開いた、次世代のソウルフード店

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