2015/02/20発行 ジャピオン801号掲載記事

この街に住みたい

ハーレム3

あのハリスが作った「開かれた大学」

 シュガーヒルから目抜き通りセントニコラス・アベニューを南下すると、中世の古城を思わせる荘厳な建物が行く手の西側丘の上にそびえている。シティー・カレッジ・オブ・ニューヨークの校舎だ。今週のハーレム探訪は、市内に23校あるニューヨーク市立大学の草分けでもある同大学のキャンパスを歩いてみよう。というのも、この学校の創始者が日本に縁の深いタウンゼンド・ハリスだからだ。日米修好通商条約(1858年)に調印した、あのアメリカ合衆国初代駐日領事ハリスである。

 陶器の輸入業で大成功したニューヨーカー、ハリスはアジア情勢に精通していたため時の大統領フランクリン・ピアースの任命で幕末の日本にやって来た。2年に渡る粘り強い交渉の末、条約はようやく締結され開国への扉が開かれたのは周知の史実だ。ハードなネゴで最後には体調まで崩したが、勤勉実直な日本人には好印象を受けたらしく日記に「喜望峰以東で最も優秀な民族」などと書いている。

 貧しい家の出で満足に学校にも行けず苦労したハリスにとって、もう一つのライフワークが「教育」だった。日本赴任の10年前、46年にはニューヨーク市教育局長を務め、翌47年に「貧乏な子も金持ちの子も平等に無償で学べる開かれた大学」を理念に、シティーカレッジの母体となるフリーアカデミーを創設した。

ロマンあふれるキャンパス

 同大学は、1907年にハーレムにキャンパスを移転。ローワーマンハッタンの証券取引所を設計したジョージ・B・ポストが、ゴシック式の復古主義で校舎のデザインを統一した。白亜の校門をくぐると、そこは知性の香りが漂う別世界。圧巻は中央にどんと建つシェパード講堂だ。大聖堂を模した大講堂を中心に弧を描いて並ぶ教室群。なんだかハリー・ポッターのホグワーツ魔法魔術学校みたいなロマンを感じる。

 興味をそそるのは建物外壁の至る所に鎮座するガーゴイル(西洋の魔物)の彫像。構内に600体以上あって全て形が違うらしい。建築家ポストは現在のフィギュアマニアに通ずるオタクな趣味の持ち主だったようだ。

 新館(ノースアカデミック・センター)にあるコーエン図書館(蔵書数160万冊)には、ハリス領事ゆかりの資料が保管・展示されており一般人でも閲覧できる。赴任時のパスポート、大統領の親書、ハリスが駐日中に作らせた、初の日本製星条旗など貴重な遺品は、幕末の激動を生々しく今に伝える。機会があったらぜひ訪ねて見るといい。日本人司書の稲木陽子教授にあらかじめ連絡をしておけば、親切にご対応下さる。

プロレタリアートのハーバード

 ハリスの理念を受け継ぎ76年まで無償教育を貫いたシティーカレッジ。入試で宗教や人種を問わない姿勢も影響してか、ユダヤ系の移民の優秀な子弟が、こぞって入学した。現在まで9人のノーベル賞受賞者を輩出しているが、そのほとんどがニューヨーク市出身のユダヤ人。両親は服飾製造やミシン職人など貧しい労働者だ。「プロレタリアートのハーバード」と賞讃されたこともある。

 卒業生名簿を見ると、政治家・軍人では元ニューヨーク市長のエド・コッチ、湾岸戦争の功労者コリン・パウエル陸軍大将らの名前が並ぶ。元国務大臣ヘンリー・キッシンジャーも一時期働きながらこの大学に通っていた。文化人では、ベン・シャーン(画家)、マリオ・プーゾ(作家。『ゴッドファーザー』の原作者)、イーライ・ウォーラック(俳優)、スタンリー・キューブリック(映画監督・中退)など米国を代表する才能がここから世に出ていった。

 現在の学生数は学部・大学院合わせておよそ1万6000人。大多数が地元ニューヨークの出身者で、仕事しながら学位を取得する人も少なくない。全米公立大学ランキングでは常に上位入りしており、学費が比較的安いため「お値打ち」大学ナンバーワンに輝いたこともある。

 まさに、ハリスの志は、20世紀、21世紀を通じて連綿と実を結び続けているわけであるが、原動力は同大学生が誇る「勤勉実直さ」にあるに違いない。それは、ハリスが日本で目の当たりにして驚嘆した日本人の性質ともどこかでつながっているような気がしてならない。
(中村英雄)

セントニコラス・アベニューから丘の上を望むと、ゴシックリバイバル様式の校舎が見えてくる。中央にそびえるのがシェパード講堂。
図書館にはハリスゆかりの資料が展示されている。身分証明書を見せれば一般人も入館可。開館時間は随時変更するので、要確認。
ハリスが作らせたという日本製の星条旗。素材はシルクで、今ではすっかり色あせ、すり切れてはいるが、丁寧な縫製具合が見て取れる。

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