2018/02/16発行 ジャピオン953号掲載記事

ハートに刺さるニュース解説

第69回 フレッド・コレマツ

NYでコレマツデー
人権を再認識する日

 零下の夜だったが、目頭が熱くなる集会だった。

 ニューヨーク市は、1月30日を、第二次世界大戦中、日系人の強制収容を不当と訴えた人権活動家にちなみ、「フレッド・コレマツの日」に制定した。その第1回を祝う会が、ダウンタウンで開かれた。

 「フレッド・コレマツの日」は、すでにカリフォルニア州、バージニア州、フロリダ州が制定し、合衆国憲法で保障された市民の自由の重要性を再認識する日としている。ニューヨーク市がそれに続いた。

コレマツ氏の戦い

 コレマツ氏は、カリフォルニア州に生まれた二世で、第二次世界大戦時、日系人に対する差別に抵抗、強制収容所に入所することを拒否して逮捕された。その際、アメリカ自由人権協会(ACLU/American Civil Liberties Union)弁護士が接近し、日系人の抑留の合法性を問う裁判を起こした。終戦後、最高裁まで進んだが、「日系人はスパイ」という誤報を根拠に敗訴に終わった。

 しかし1980年、カーター元大統領が、戦時中の日系人の強制収容を調査する委員会を設け、「人種差別や戦時下のヒステリー、および政治指導者の失敗」とした。コレマツ氏は再度、強制収容の合法性を問う裁判を起こし、勝訴する。

 98年には、クリントン元大統領が、米国の勲章としては最高位の「大統領自由勲章」をコレマツ氏に授与した。その際、クリントン氏はこう述べた。

 「わが国の正義を希求する長い歴史の中で、多くの魂のために闘った市民の名が輝いています。その栄光の人々の列に、今日、フレッド・コレマツという名が新たに刻まれたのです」

学生が流れを変えた

 ニューヨークの集会で驚いたのは、「コレマツの日」制定に向けて、多様な人種の人々が働き掛けたという事実だ。参加した人々も、日系人・日本人はむしろ少なく、若いアジア系が目立った。

 それもそのはず、ニューヨーク市議会で、「コレマツの日」制定を主導したダニエル・ドロム議員によると、市議会の流れを変えたのは、アジアン・アメリカン・スチューデント・アドボカシー・プロジェクト(ASAP)という学生団体の証言だった。代表の一人、サマンサ・チェンは、こう話した。

 「クリスマス近くに、家族でショッピングモールに行き、流れに逆らって歩いていたら、誰かに『どこに行くんだ、ching-chong?』と聞かれた」

 別の学生エリック・チェンも「学校で、フレッド・コレマツのことは習わなかった。でも、アジア人に対するステレオタイプな誤解を解いていくためにも、フレッドはロールモデルだ」と訴えた。

 ドロム議員は、コレマツの日制定の実現に涙ぐみながらもこう語った。

 「私もフレッドのことは、学校で習わなかった。差別と戦うためにも、アジア系だけでなく、アフリカ系、イスラム教徒、LGBTQなどが、フレッドの偉業を再認識するべきだ」

 実は、コレマツ氏も、日系人であることだけを理由に、イタリア系のガールフレンドとの交際を阻まれたり、やっと就職しても不当解雇に何度も遭っている。日系人、アジア系だけに対してだけでなく、人種、宗教、性的嗜好だけを理由とした差別は、今でもなくならない。

今も重たい言葉

 コレマツ氏の長女カレンさんは、現在カリフォルニア州にあるフレッド・コレマツ・インスティテュート創業者だ。彼女も、コレマツ氏が受けた差別を語ってくれた。

 「戦前でさえ、彼が床屋に行くと、こう言われた。『何してるんだ。ここは、お前が来るところじゃない。チャイナタウンに行け』。父は米国人で、ホットドッグとスパゲティが大好きだったにも関わらずです」

 「私たちは、社会の正義のために、市民であろうと、移民であろうと、戦っていかなければなりません」

 コレマツ氏が残した有名な言葉は、「間違いだと思うならば、声を上げなければならない」。

 今でも、なんと重たい言葉だろう。

ニューヨーク市での「フレッド・コレマツの日」制定を喜ぶ、コレマツ氏の娘、カレン・コレマツさん(右)

津山恵子

津山恵子
■ジャーナリスト。「アエラ」などに、ニューヨーク発で、米社会、経済について執筆。フェイスブックCEO、マーク・ザッカーバーグ氏などに単独インタビュー。近著に「教育超格差大国アメリカ」(扶桑社)。2014年より長崎市平和特派員。元共同通信社記者。

今週の用語解説

フレッド・コレマツ

1919年カリフォルニア州オークランド生まれの日系二世。日本名は是松豊三郎。2005年に死去。享年86歳。1942年、日系人に対し立ち退きおよび収容所へ移転の命令が下されたが、コレマツ氏はこれに従わず逮捕。勾留中にACLUの弁護士の提案で、日系人抑留の違憲性を問うテストケースとなったが、留置所出所直後に再逮捕。収容所に送られた後、大統領令9066号への違反で有罪判決を受け、控訴した最高裁でも判決が覆らなかった。1980年のカーター大統領の命により日系人強制収容に関する調査が行われ、コレマツ氏も1983年の再審で有罪判決の無効が決定した。

2016年10月に最初の告発がなされて以来、米代表チームの選手を含む150人以上の女性が性的暴行を受けたとしてナサール被告を訴えていた。  同被告はすでに児童ポルノ所持で有罪(禁錮60年)となっており、女性アスリートに対して治療とみせかけて性的虐待を行ったとする訴えで10件の有罪を認めていた。

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